秋彼岸
(出典:『花園』平成6年9月号)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるとおり、さわやかな朝を迎える候となりました。「彼岸」とは「悩み苦しみのないさとりの場に到り得た」という意味です。
昭和四十三年。七十二歳で亡くなられた、両手両足のない中村久子さんに、次のような詩があります。
ある ある ある
さわやかな秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える良人がある
「ハーイ」という娘がおる
歯をみがく
義歯の取り外し かおを洗う
短いけれど指のない
まるいつよい手が 何でもしてくれる
断端に骨のない やわらかい腕もある
何でもしてくれる 短い手もある
ある ある ある
みんなある
さわやかな秋の朝
両手両足のない久子さんが「ある ある ある」と詩っています。それに比べ私たちは、五体満足に揃っていても、どうかすると「ない ない ない」の日暮らしです。夜露をしのげる家に住んでいても「大きな家に住みたい、新しい着物がほしい、もっと美味しいものが食べたい」と、不平・不満の毎日です。
どうすれば、心やすらかな日暮らしができるのでしょう。「知足」足ることを知ることです。お釈迦さまは「足るを知るは最上の財」といい、良寛さんも「足るを知れば心自ら平かなり」といっています。
久子さんは「両手足がありませんが、短いけれど何でもしてくれる手がある」と、詩っています。この短い手で彼女は炊事、洗濯、裁縫と、身のまわりのことは、すべて一人でやっており、心やすらかな日暮らしでした。
彼岸とは、遠い所にあるのではなく、毎日の暮らしの中で、不平不満をなくし「知足」の心でやすらかな暮らしを送るということです。