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明恵上人と施餓鬼

(出典:『花園』平成3年8月号)

 鎌倉時代に明恵上人(1173~1232)というお坊さまがいらっしゃった。日本佛教史の中で最も清純な生涯を送られた方とされている。私自身が真に破戒無慙な生臭さ坊主であるだけに、却って最も慕わしいお坊さまなのである。この頃、上人の生誕地に近い和歌山県の湯浅湾に浮ぶ刈藻島に参拝する勝縁を得た。私は上人が独り修練をされた無人島の土の上に五体投地して深い感動があった。
 あらためて、上人の伝記を繙いて見ると、施餓鬼についての記事がある。お盆には各々の寺々で施餓鬼会が行われていると思われるので「明恵上人伝記」の施餓鬼について紹介してみたい。承元4年(1210)七月の条に「ある時、鬼類が上人に仕えている小供に取りついて『我は毘舎遮鬼(食人血鬼)である。世間には名僧と呼ばれる方は多いけれど本当に名聞、利害にとらわれず、佛の教えどおりに修行される方は稀で、上人のようなお坊さまは、天竺は別として中国にも見当らずまして日本ではお目にかかったことがない。去る2月13日の夜、月が朗々と輝き、風もおだやかな中で、一晩中坐禅しているお姿に尊敬の思いが深く感涙おさえ難いものがあり、お経を唱えられる聲が肝に銘じて、これから以後は値遇を得て仏法に帰依し、永久に肉食を断ちたいと思います。しかし、それを断てば自分には食べるものがなくなります。どうぞ、何とか、よい方便をお與え下さいますように』と。そこで上人は、其れ以後、毎夕、施餓鬼の法を毘舎遮鬼の為に実践された」(口語体に訳す)と記されている。
 施餓鬼の法要は盆のみに行ぜられるものではない。現に禅宗の坊さん達は、毎食ごとに「生飯」といって、数粒の御飯粒を取って左の掌の上で薫じて「施食文」を唱えた上で箸を取るのであるが、果して、本当に飢餓に瀕している地域の人々の苦難に思いを馳せて施食文を唱えているであろうか。明恵上人には比すべくもないとしても「毘舎遮鬼」から、「貴方たちのような生臭さ坊主からの施食は受けたくない」と拒否されるようなことはないであろうか。私自身、真に忸怩たるものを感じざるを得ないのである。

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