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「平和」

(出典:『花園』平成8年8月号)

 今年も終戦記念日を迎えます。あたりまえのようにこの日を迎える私達ですが、世界中の非難を受けながらも再度の核実験をしようとしている国も、今なおあります。
 名古屋市熱田区の旧東海道沿い、元は精進川が流れ、裁断橋が架けられていた近くに、この橋の「擬宝珠」がひっそりと飾られ、次のような言葉が刻まれています。

天正十八年二月十八日に 小田原へのご陣
堀尾金助と申す十八になりたる子をたたせて
より またふた目とも見ざる悲しさのあまりに
今 この橋をかけるなり 母の身には落涙とも
なり 即身成仏したまへ
逸巖世俊(金助の法名)と 後の世のまた後まで
この書き付けを見ろ人は念仏申したまへや
三十三年の供養なり

 天正十八年、秀吉の小田原の戦いの折、病気の夫の代わりに息子の金助を出陣させた母は、熱田の裁断橋まで金助を見送りました。が、その夫は病死、更に金助も戦死、帰ってきたのは兜と一握りの毛髪だけでした。天涯孤独の身となった母は、悲しみに涙する日々を過ごす内に、「金助だけではない、大勢の若者が戦を恨み、敵を憎み、悔しがって死んだに違いない。どうぞ憎しみの無い安らかな世界に生まれ変わって欲しい」と、有縁無縁の供養を思い立ちました。敵も味方も総て平等に渡す、金助との最後の別れの場ともなった古い裁断橋の修繕を発願し、私財を抛って翌年完成しました。更に年月を経て三十三回忌に当たり、母は再び裁断橋を架け替えて、この「後の世のまた後まで……」の願文を擬宝珠に記し残したのです。
 我が子の成仏と共に戦争の無い万民の幸福を祈り続け、耐え難い悲しみの深さを、怨讐を越えた溢れる慈悲心にまで昇華させることができたのです。
 このひたむきな母の願行を偲びつつ、平和に向けて私には何が出来るのか、何をせねばならないのか、終戦記念日に問いかけてみたいものです。
 仏心とは大慈悲是れなり
 無縁の慈を以て諸の衆生を摂す(観無量寿経)

備考
1.当時の青銅の実物は名古屋市博物館に市文化財として大切に保存されています。
2.今春、堀尾金助とその母の故郷の愛知県丹羽郡大口町に「堀尾跡公園」が完成し、復元された「裁断橋とその擬宝珠」が五条川に架けられています。

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