人間の品性と心の置きどころ
(出典:『花園』平成4年7月号)
お中元の時節になった。正月15日を上元、10月15日を下元といい、それに対して7月15日を中元と呼び、あわせて三元という。中国ではこの日に饗応すれば、犯した罪が許されるという道教の教えがあるといわれる。それと孟蘭盆会の行事が混淆し、わが国でお盆に贈答の儀礼として行われるようになったようだ。
ところであなたはお中元をどんな気持ちで受けとられるだろうか。恐らく三千円、五千円と、先ず値ぶみするのではないだろうか。そしてお中元を送ってくれた方への感謝はその金額に比例する、正直なところ、このへんのところが私たちの偽らざる心ではないだろうか。しかしそれでは少々申し訳ない気がするのもまた事実だ。そこで気づかせられたのは、心の置きどころである。お中元の物に心を置くか、それを送ってくれた方の心遣いに心を置くかで、私たちの品格が問われているのではないだろうか。
歌人北原白秋は『洗心雑話』で、「また、ある時、ある三人の男が膝を交えて坐っていた。その時バナナをお盆に山ほど女中が持って来た。そのバナナはまだ青かった。これを見た瞬間に、一人が、はぁいいなといった。一人はだめじゃないか、青いなと云った。一人は全く小笠原のは値ばかり高くてねと云った。三人とも親しい友達だったが、一人は画家で、一人は商人、あとの一人はその瑚排店の主人だった。画家は其時色のかがやきを観た、商人は味を感じた。そして其店の主人公は値を考えていっしょにハッと思ったのである。その中の誰がいちばん尊く磨かれていたか」と問い、こう自ら答えている。「画家はむろん、輝いた青い色を観たばかりではあるまい。その輝きの底に潜むバナナの生きた命そのものをも観とおしたにちがいない」と。白秋はこの文の前に、人の心柄は一寸とした言葉のはしにもあらわれると書いている。やはり日頃、自分が心にかけていることが人柄をつくる。それが、あまり神経をつかわない些事に自ずと現われるというのだ。
日々、私たちは様々なものに関心を持つが、金銭や物しか念頭になかったら、さびしい気がする。心の置きどころは大事だ。