お盆
(出典:『花園』平成5年7月号)
拙寺には、市街地の真中ながら、こんもりとした木立に囲まれ、台座とも17メートルの釈尊像が立っている。この釈尊像には毎朝必ずお詣りする方、タクシーで遠方から来られる方、月に一度来られ、周囲を掃除し花を入れ替え、心ゆくまでお詣りして帰られる方、近くの病院から散歩がてらお詣りされる方々、時には深刻そうにけんめいに祈られる方、若い男女が連れだって祈っていくこともある。
この釈尊像は現世利益を鳴物入りで前面に押し出して人々を誘うムードはない。それでもお詣りの絶えないのは、慈しみに満ちた静かなお顔だちの故だろうか。おのずから心が清められ、落着き、安らかになる。神仏への祈りは人さまざまであり、それで良いと思う。
しかし、お願いをするのなら、ほんとうは「いかなる困難にあっても、道を外すことなく、自らを活かし人さまのお役に立てますように、そのためには真の智慧を授けて下さい」と祈っていただくのが理想的かなあと思っている。私はその良い祈りによって救われたことがある。
今から30年ほど前、全国でもまだ数カ所しか心臓の手術が定着してないころ、心臓手術を受けることになった。休むことなく動いている心臓、たった一つしかない心臓を切開手術するのである。死への不安も小さくはない。そんな私に、隣室の方がこういって下さった。
「あなたの心臓手術の執刀をして下さる先生は、最高のウデよ。その上、手術室に向う前に必ず、ご自分の室で観音さまにお祈りされるそうよ。もう一切をおまかせして安心してお受けなさい。」どんな励ましのことばより勇気づけられ安心させられたことか。
7月15日は、ご本山でも山門施餓鬼会が厳修される。8月は万灯会も行なわれる。7月・8月は、年に一度日本中が手を合わせる時である。心からの祈り、真実の祈りによって共々の仕合せを迎えよう。