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おもいやりの心

(出典:『花園』昭和63年6月号)

 梅雨
 日本の梅雨は、ときとして心まで湿らせてしまうものであります。そんなとき、温かい人の心にふれると、ひとしお深く感激し、喜びを味うものです。
 「相送って門に当たれば脩竹あり 君が為に葉葉清風を起す」   (虚堂録)
 この詩は、虚堂禅師のお弟子方三人が、天台山の国清寺を訪れるため、師匠の虚堂禅師に別れの挨拶をしに来たときに詠じられたものであります。折しも六月の蒸し暑さであってみれば、見送る師匠も見送られる者も惜別の情浅からず、お互いの心情を察するかの如く門前の脩竹の一葉一葉が、そよそよと揺れ動いて清風を送ってくれる。中国に残された美しい師と弟子の心情を伺い知ることができます。
 ずい分古い話ですが、全国行脚の旅に出た雲水さんが、九州のある寺院に一夜の投宿を依頼した処、その寺の老僧が「こんな寺でよかったら投宿していかれよ」と快く引受けて下さった。鞋をぬいで上間の間に通され、老僧みずからの薬石(夕食)をいただいてやがて夜も更けて床に入る頃になると、この夜に限って蒸し暑くて寝つかれない。すると、どこからともなく水を打つ音がしてその度毎に、微涼が感じられる。そっと障子を開けてみると老僧が、夜更けなのに庭先に立って打ち水をしておられる。若い雲水さんは、瞬間、三十棒を喰らったような身の引きしまるおもいがして思わず「すみません」と合掌せずにおられなかった。これこそ、終生忘れてならん以身説法でありましたと、ある布教師さんから聞いたことがあります。
 人間のおもいやりの心、人間の真心というものは、決して、作意によって表されるものではなく、お互いの清らかな心の交わり「信」より生まれるものであり、「君が為に葉葉清風を起す」の心情を汲みとることができるものです。
 旅に疲れた雲水に夜更けて人知れず打ち水して下さる老僧の心情は、今日、私たちが真に学んで行かねばならないおもいやりの深さであり、それをまた、合掌して喜び受けとめる心を持ち合わせねばならんと思うのであります。

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