子供の日
(出典:『花園』昭和62年5月号)
子供というものは、親の勝手になるものでなく、
大いなるものからのあずかりものだ。
『端午の節句』
「端午」とは、五月上の午の日をいい、中国では一年を十二支に配し、五月は午に当るのと、さらに、重日を端相とする考え方が加わって、五月五日を端午節として祝ったという。わが国でも、五節句の一つとして、男子の立身を祝い、鯉幟を立て、菖蒲や蓬を軒に葺き、粽や柏餅を食べて邪気を払う習わしがある。
親として、わが子の健やかな成長を願う心情は今も昔も変りなく、美しい。しかし、わが子を愛するあまり、時として、大きな過ちを犯すのも、親なるが故の悲しさであろう。
自分の子供がありながら、他人の子を奪って食べるという恐しい鬼子母神の話はその典型である。
釈尊は阿難に命じて、鬼子母が最も愛していた末っ子の嬪伽羅を隠してしまった。最愛のわが子の姿が見えないことに気づいた鬼子母は、狂気の如くその姿を探し求めてさまよい歩き、疲れ果てた末に舐園精舎に釈尊を尋ねるのである。
そこで眼に映ったものは、釈尊に抱かれて、スヤスヤと寝息を立てているわが子嬪伽羅の姿であった。「どうか、その子をおかえし下さい」と嘆願する鬼子母に、釈尊は静かに首を横に振っていわれた「私は、この子がかわいくて食べてしまいたいくらいだ。おまえがどんなに謝ろうとも、おまえに食べられた沢山の子供達の母親の悲しみや、心の傷が癒やされるものでもなく、又、子供達が生きかえるものでもない―」と。
鬼子母は釈尊に呵責されて、懺悔の思いにさいなまれ、自分の子供に対する考え方の根本的な間違いに気づくと共に、子供というものは、母親の勝手になるものではなく、何かわからない「大いなるもの」から、わがいのちをかけてあずからせていただいているものだということに思いいたった。
鬼子母の利己的な母性愛が、釈尊の縁にふれて翻然とめざめたとき、鬼子母は自分の子も人の子も区別なく愛することのできる利他の心まで到達した。大いなる母性をわがものとすることができたのである。この大いなる母性愛こそ、仏教の慈悲の根底をなす柱石の一つといっても過言ではない。