誕生仏
(出典:『花園』平成4年4月号)
四月八日には、私の寺でも花御堂を仏前に設け、内に香湯盆をおき、その盆中に誕生仏をまつる。お参りした方々と、右手で天を左手で地を指している誕生仏に、甘茶を灌ぐ。降誕会という。
灌仏や 吾等が顔の 愚かなる
歌人、会津八一の作である。どんな心を歌ったのだろうか。釈尊は誕生されて間もなく、「天上天下唯我独尊」と言ったほど鋭敏な方だ。しかし、私たち大人はいまだに悟れないでいる。釈尊のお顔に比べて、なんとあいかわらず愚かな顔をしていることか、ということだろう。このように自戒している八一に感銘する。
徳川家康は九歳のとき、今川の人質として駿河の臨済寺に預けられた。今川義元は家臣に、「一番、むごい教育をせよ」と命じた。その意味を問われて、「好きなようにしてやれ、そうすれば必ず駄目になる」と答えたという。だが住持であった雪斎は家康にしっかりとした人間教育を施す。初めて相見したとき、雪斎は誕生仏・出山仏・涅槃図の三つを見せて、こう諭した。「これがお釈迦さまの誕生仏じゃ。人間は生まれながら、どんな環境にあっても汚れない仏心をもっている。次は出山仏じゃ。これはお釈迦さまが苦行は無駄であることを悟られ、自ら道を求めて修行しようと決心したときのお姿だ。人間にはいくら仏心があるといっても、自ら磨かなくては光らぬ。最後は涅槃図じゃ。お釈迦さまの死を菩薩も人間も動物も昆虫も、すべてのものが悲しんでいる。おまえも将来は一国の主になる身。お釈迦さまのように多くの人々に慕われるような人間になれるように精進しなさい」と。幼き家康はどう聞いただろうか。実はこの話を昨年、遷化された前妙心寺派管長布鼓庵老大師から直接うかがった。仏心とはなにか。一言で、いや文字にすることは不可能だ。あえて表現すると、どんなことがあっても一回きりのこの生命を活かしめ、他者の生命をどこまでも思いやらずにはおられない、限りない働き、としか言いようのないもの、ということになるだろうか。この仏心は大人になり利口になるに従って、心の奥底に押し込められていく。しかも雪斎のように、仏心を忘れている愚かな自分を忠告し、叱ってくれる人がいなくなる。八一をまねて、自ら戒めるしかない。幼き生命への厳粛さこそ降誕会の本意と思われる。