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修正会

(出典:『花園』昭和63年1月号)

 修正会は元日から三日~七日間、各寺に於て行われる法要で、正月の中心行事である。
 そのおこりは中国にみられるが、わが国では護国思想の高まった奈良平安時代に、悔過の行法や「大般若経」の六百巻の転読法要も行われたとある。「悔過」とは、大乗仏教でいう「懺悔」の意味の「過ちを悔いる」ことで、過去の罪業を仏前において悔いることによって衆罪が消滅する仏教の考え方に、神道の身を清める禊の思想が習会されたものである。
 今日では、祈祷般若をつとめて国や社会の安泰、家内安全、厄払いなどの祈願が行われるが、それは単なる現世利益を念ずるだけでなく、「みんなが行いを修めるのに喜びあれ、道に進むに障りなかれ、仏の智慧を速やかに頂き、菩提心に怠りなかれ」と、心のたたずまいを正しく修めることに意義がある。
 即ち、「修正」とは、まちがいや不足を正し、ゆがんだものを直すことであり、「悔過」は過ちを悔いること―正月は”正す月”であって、平素の暮しを省みて、まちがいを正し、過ちを慙愧し自らを養う機会と心得られてきたのである。

一年の計は穀を種ゆるにあり
百年の計は徳を種ゆるにあり
人の最も種ゆるべきものは徳なり -南禅寺義堂周信日記-

 人生はよく旅にたとえられるが、正月はその旅の一里塚にすぎない。
 懺悔や反省などといった心の内面に向って求めることがおろそかにされている今日、しゃにむにただ前進あるのみという生き方を一歩止めて、さらに一歩退いて足元を見つめ直す必要がありはしないか。
 外へ向って押し進んだ結果、道が行き詰った時退いて内に向う心の眼を開くこと、それが「悔過」であり、「修正」ということであろう。
 真のめでたさとは、正しきを修め本当の生き方が明らかになり、生き甲斐が発見されることなのである。

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