知名の決意
(出典:『花園』平成11年1月号)
新年、と言っても正確には、そのわずか前の12月31日午後11時50分、本堂の扉を大きく開けました。扉の眼前には大きな湖、そして、その向こうに男鹿半島の山々が見えているはずです。しかし漆黒の闇で見えません。シベリアからの風が容赦なく本堂に吹きつけてきます。小ぶりの鐘を撞きはじめます。除夜から新年へ、流れていく時をゆっくり刻んで打ちました。
鐘を打ち上げて、午前零時半。すぐ新年のお勤めに入りました。毎日、挙げているお経なのに、やはり新年は真新しい感じがします。
いつごろからか、私は朝のお勤めが全部終った時に、「懺悔文」を唱えながら、五体投地をするようになりました。今日も、お勤めを終えて、五体投地をしていて、ふっと思いました。私の心は、新年でまだ煩悩にまみれていないのでは…と妙な思いにとらわれました。
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
しかし繰り返していると、やはりちがうと思いました。
「我昔所造」―私が、知らず知らずのうちに、昨年までの人生の中でしてしまったこと―
と考えると、まことにお恥ずかしい、全く「諸悪業」ばかりです。新年、いの一番にそれを懺悔すると、不思議なもので、身も心もリフレッシュします。
「懺悔」こそ私の「再生」の基本と言えるのかもしれません。
そう言えば、私の用いている「日課経典」は、「懺悔文」のすぐあとに、
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 -七仏通戒偈-
が載っています。私の懺悔=反省の心を、実体化するものは、「衆善奉行」―人間としてなすべきことに一心につとめて励む―ことに他なりません。
五十歳を知命といいますが、五十歳の私にとって、生かされているいのちを見つめる一年が、いまはじまりました。