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そこを忘れるな

(出典:『花園』平成2年12月号)

 向かい合って坐った爺さんと婆さんのおデコが、突然、ゴツンとぶっつけ合わされた。二人は思わず「痛い!!」と額に手をやった。するとぶっつけた人は「そこじゃ、そこじゃそこを忘れるなよ」といわれた。ぶっつけたその人こそ誰あろう、我が妙心寺開山無相大師である。
 この話は無相大師が、花園法皇の聖旨で悟後の修行の地、美濃の伊深から上洛されるに当たり、別れを惜しみ、お導きを願いでた老夫婦に対する無相大師の活説法として有名である。
 これを故山田無文老大師は、「この二人にとって頭を打たれることは全く予期しないことであり、そのことについては全く無心でありました。しかも頭を打たれれば、無心のまま直ちに痛いと叫んだのであります。無心にしてしかも自由自在に働く、そこに仏性の妙処のあることを自覚せねばならんのであります。゛そこを忘れるなよ゛とは、そのことであったと思います。」と説かれ、深い禅の宗旨を示されている。しかしこれは一般にはちと難解であろうから、角度を変えて考えてみる。
 その後、さきの老夫婦にインタビュウした人があり、先ず爺さんに「あの時ゃ痛かったでしょうネ」「いや、大したこともなかったよ、それより婆さんの方が痛かったと思うよ。可愛そうに。」今度は婆さんの方にマイクを向ける「私も爺さんのようにいいたいけど、本当は大変痛うございました。爺さんの石頭には、かないません。」とまことに素直である。続いて今の心境を訊ねると、二人は交々語ってくれた。それによると、二人は欲が深く、ためる一方で、出すのは舌を出すのもいや。そのためひとさまに随分ご迷惑をかけてきた。しかしあの尊いご説法で目が覚め、ひとさまの痛さがよく分るばかりか、同じぶつかっても弱い方がより痛いことも知った。欲の深い者同士がぶつかれば両者が傷つき、弱い者にぶつかれば相手が倒れる。こんな道理も分からせて頂き、気が楽になった。これが二人の述懐であったという。
 今月十二日は妙心寺の開山忌。ゴツン・痛い・そこじゃそこじゃ、そこを忘れるな。この説法を思い返し味わう月であらしめたい。

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