成道会
(出典:『花園』平成元年12月号)
釈尊は人生の苦悩から解脱する道は、他に求むべきではない。ただ自ら修してこれを証するよヘり外にないと気づかれ、深い森の中に入り、専ら苦行を修する生活に入られました。しかしインドの詩人馬鳴が歌います。「苦行六年、身形消痩して枯木の如くなるも未だ解脱を得ず。その道に非ざるを知る」と。ついにその苦行林を出られた世尊は「われもし解脱の道を得ずんばこの座を去らず」と決心せられ、寂然として禅定に入られ、遂に七日、暁の明星の燃然と輝くのをみて豁然として大道をお悟りになり、仏陀覚者となられました。思えば世尊はこの時、明星とご自分との間の幾光年の距りを超えた、へだてのない心を悟られたのです。遠い遠い空にかがやく星と、地上の世尊とが対しあっていながら、しかも対立していない。空に光る星そのままがご自分の心中に光る経験をおもちになられたのです。
世尊はその時「草木国土悉皆成仏」とおよろこびになられました。一切のものはみな如来と同じ清浄な鏡のような仏心をもっている。ただ現実の世界にはみにくい争いや、対立や悲しみがあるが、それらはすべて人間の妄想妄念とか執着というもののために本来の清浄心がくらまされているのだと説かれます。
禅語に「莫妄想」ということばがあります。妄想すること莫かれとは、ただ単によからぬ考えをすてよということだけでなく、生と死、善と悪、愛と憎というような対立的な分別をたてて、一方をすてて一方に執着する心を捨て切れというのです。
莫妄想については有名な逸語があります。その昔、元との国交が緊迫して大事到来が迫ってきたとき執権北條時宗は参禅の師である無学祖元禅師にその心構えについて教えをこいました。その時禅師は「莫妄想」と大書して彼に与えたのです。爾来、時宗はこのことを不断の課題として心を練り、やがて元軍数十万という大軍が怒濤のように九州に攻めてきた時、迷うことなく一切をたちきり、これに当たり、山陽をして「相模太郎胆甕の如し」といわしめたことでした。おのれなき心こそ世尊成道のおこころでありました。