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達磨忌

(出典:『花園』平成5年10月号)

 十月五日は、禅宗の初祖、菩提達磨の命日で達磨忌です。その達磨に「二入四行」という教えがあり随縁行なるお示しがあります。道に入るには、経典などから真理を学び、また信じていく入り方と、行を通して入る二つの入り方があります。更に、その実践行として達磨は四つの行を教えています。その中の一つを”随縁行”といいます。
 この世の中は、順境あり逆境ありで、いつでも自分の思った通りにはものごとが運びません。これは、その人その人の縁のめぐり合わせによるもので自分の力では動かしがたいものです。そこで順逆の縁をあるがままに受取り、平常の行いも素直に縁に随わせていきなさい。そうするとあなたの行いは次第に道にかない、あなたの心も周りも明るく開けますよと教えるのです。
 人間国宝の、加藤唐九郎氏の好んで書かれることばに「随縁」があります。幾多の苦労をのり越えて大成された方々には、同じような人生哲学に到った方が少くないようです。
 山田無文老師の「水の如くに」と題された短文は、まさしく随縁の極地ではないでしょうか。人生の免許皆伝書とも受取れます。

水の如くに  
   水のごとくよどみなくさらさら流れたい。どんな良いことがあっても、どんな悪いことがあっても、うしろをふり向かずに、前へ前へ、さらさら流れたい。
左右の岸にどんな美しい花が咲いておっても、どんなに楽しく小鳥が鳴いておっても、その美しさをほめながら、その楽しさをよろこびながら、足ぶみせずに流れよう。
流れる水は凍らぬとか。流れる水は腐らぬとか。それが生きておるということであろう。田畑をうるおし、草木を養い、魚を育てながら、決して高きを望まず、低い方へ低い方へ、水の流れるごとく、わたくしも流れたい。 山田無文

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