わが心を楽しむ、新緑の季節
(出典:書き下ろし)
私がお護りするお寺は、福井市から離れた山間に佇み、その麓には田畑が広がり、川が流れ、しばらく行けば日本海という場所です。ですから、山仕事も多く一年を通して外作業の絶えない場所でもあります。そのため、時には疲れや苦労に文句を漏らしたくなることもありますが、一方で、違った視点で見るとこの場所は自然の美しさに溢れ、心を豊かにしてくれる場所でもあります。
特に新緑眩いこの季節は草木がよく茂り山々の青さが際立ち、目の前に広がる風景は時を忘れ見とれてしまうほどに美しいものです。
幕末に活躍した福井の歌人に橘曙覧(たちばなあけみ)がおります。歌人ですから花鳥風月を好んだ曙覧は、そのような自然に囲まれた当山の環境を好み、よく訪れ多くの歌を詠まれました。その一つをご紹介します。
うちわたす 野山の広さ ゆく水の ながさ目にあく 時なかるべし
お寺の境内からさらに裏山を10分ほど登ると、眼下に福井平野が広がり、晴天で雲一つ無い日は、名峰白山まで眺望できる素敵な場所があります。また、平野を滔滔と流れる九頭竜川と日野川は圧巻です。目に満ちるその美しき風景は曙覧にとって時を忘れるほど絶景に映っていたのでしょう。
この歌が詠まれたのは約150年前のことですが、歌と共に同じ風景を眺めていると、不思議と時を超え曙覧と心を一つにさせてもらえているような心地好さを感じます。
日本に禅宗という一宗を初めて伝えられた建仁寺のご開山栄西禅師が、禅の教えが如何に素晴らしく大切なものであることかを記した『興禅護国論』という書物があります。その序文にこういう言葉があります。
「大なる哉、心や。天の高きは極む可からず、而も心は天の上に出づ。地の厚きは測る可からず、而も心は地の下に出づ。日月の光は踰ゆ可からず、而も心は日月光明の表に出づ。(中略)天地は我を待って覆載し、日月は我を待って運行し、四時は我を待って変化し、万物は我を待って発生す。大なる哉、心や。」
人間の心というものは、実に大きく、無限の大宇宙も我が心の中にあり、心の中で天を覆い地を載せ、心の中で四季が移ろい、心の中で森羅万象が発生していくというのです。つまり、物差しで森羅万象は測れませんが、心というのは全てを鏡のようにあるがままに映し出すのです。富士山を見れば心は、大小関係なくして富士山をそのままに映します。琵琶湖も日本海も白山も、心は全て入ってしまうほどの大きく豊かで、そのような偉大なる心を誰しも具えていると教えてくれています。
まさしく、この歌を詠んだ曙覧の心境も「大なる哉、心や。」だったのだと感じさせてくれます。
日々の生活に疲れや苦しみを感じるのも私たちの常ですが、私のように置かれた環境に文句を言い、疲れたと一日を過ごしているのは、いわば自分で自分の心を縛っていただけなのかも知れないと、栄西禅師と曙覧の歌から学ぶことができます。
この新緑の美しい季節、皆様も公園や山にお出かけの際は、ちょっと立ち止まって自然を心一杯に包容し楽しむひと時を見つけてみてはいかがでしょうか。新たなあなただけの幸せの気づきがありますよ。