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花まつりの子供たち

(出典:書き下ろし)

  4月8日はお釈迦様の誕生日で一般では「花まつり」などという名前でお釈迦様のご誕生をお祝いすることが多いと思います。お釈迦様がお生まれになった時、天空の龍が甘露の雨を降らせたという故事になぞらえて花御堂というお堂の中にいらっしゃるお釈迦様に甘茶をかけてこれをお祝いします。
 花御堂の中のお釈迦様は右手を天に向けて指さし、左手を地に向けて指さしています。これは、お釈迦様が生まれて直ぐに七歩歩き、右手で天を、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊」と宣言されたという故事にちなみます。もちろん実際に生まれたばかりの人間がすぐに言葉を発したとは考えにくいので後世になってから仏教の立場を表明するために作られた逸話であると考える方が自然です。

 「天上天下唯我独尊」という言葉は仏教の独立宣言というべきものです。お釈迦様が生まれた当時の社会はカーストという厳密な身分制度の存在する社会でした。この身分制度の枠を飛び越えて、真の安楽を求めようと成立したのが仏教であるという歴史があります。 
 「天上天下唯我独尊」を訳すと「天の上にも天の下にもただ我一人のみ尊い」となります。真の安楽を目指すならば私、つまりお釈迦様の言葉に耳を傾けよ。というお釈迦様の力強い決意の言葉であるというのが元々の意味です。

 派生して、私たち一人一人が尊ぶべき人格なのだという意味で用いられることも多くあります。自分だけが良ければそれで良いという意味ではなく、誰しもに尊ぶべき人格が存在するのだという気付きはとても大切なものです。禅の教えではこの「わたし」と「あなた」というような二項対立の世界から超越した世界を見てきなさいということを求められます。誰しも自分のことが大切なのは分かっていますが、それと同じように他者の人格も尊いのだというのは、理屈で分かってもなかなか実感としてストンと落ちてくる所まで行くのは大変なことです。

 私のお寺でも毎年この時期には地域の子供に集まっていただいて花まつりを行っています。最初に灌仏(かんぶつ)といって、お釈迦様の像に甘茶をかける作法を説明するのですが、初めて来た低学年の子供にはなかなか難しいようで悪戦苦闘しながらもしっかりと灌仏をしてもらっています。上手くできない子には上級生のお友達が手助けをして一緒に灌仏をしたりする風景もとても微笑ましいものです。子供たちは「天上天下唯我独尊」などという難しい言葉は知りませんが、誰もが目の前のことを一所懸命にしています。子供たち一人一人のその尊い姿を大人になった我々が見ることで改めて気付かされることや学ばせていただくこともとても多いように感じます。
 日々の生活を慌ただしく過ごしていると気付けないことはたくさんあります。忙しければ忙しい程自分のことで頭がいっぱいになり、他者の人格などということを悠長に考えている暇が無くなってしまうからです。あれこれと自分のことばかり気になってしまう中でもあえて一度立ち止まり、お釈迦様の教えのもとで自らを振り返り、ゆっくりと思いをめぐらせてみる。お寺がそのような場であれば何よりかと思います。

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