鈴木大拙の世界シリーズ〔18〕
(出典:書き下ろし)
鈴木大拙先生の講演録に「束縛という言葉を使うときには自由というものが奥にあって束縛というものを使ってる。そういう物があるはず。」という言葉があります。束縛を受けてるという感覚は、自由というものを根拠としていないと感じ得ないということでしょう。
うちのハムスターは、ずっとゲージで過ごしていたのですが、ある日天井の金網に前足をかけて、予備の水を入れる穴から脱出するという芸当を身につけたようです。そんなことも知らないで、ゲージの中にいないハムスターをどこから出たのか探していると、コソコソこちらに向かって歩いてくるハムスターを発見して難なく抱き上げてゲージに収めることができました。
このとき、「何で逃げなかったのだろう」という思いがいたしました。
本能で逃げる仕草がないのか、ゲージで生まれてから育ったので外の自由な空間というのを知らなかったのか、私はハムスターではないのでわかりかねます。しかし、自由を知らないと束縛もわからないというのは、言えそうな気がしました。このことは、日常の感覚にも言えることなのかもしれません。
なるほど、「ちょっと暖かい。」というときには、寒いということがなくてはならないし、「すこししんどい。」というときには、平気でいられるという状態が必要なのでしょう。
あの視聴率100パーセント男と言われた萩本欽一さん(欽ちゃん)と鈴木大拙先生とは、境遇において近いところがあると思います。それは金銭的に上の学校に行けない経験をしているということです。
「学校に通えない」という感覚は、学校に普通に通えるという感覚に根ざしているのだと言えます。悔しさは、満ち足りているということを根拠としています。
欽ちゃんといえば、素人を多く使って育てることに定評のある、レジェンドコメディアンでありますが、その指導は非常にシビアであると言われています。普段からアドリブを要求されるのですが、あまりにも突拍子のない動きや声の出し方は認められません。
普通だったらどう動くか考えさせて、そこから少し離れた動きを求められます。普通はそうだったら、その逆をいくなど指導されます。そうなると、もはや普通を知らないと誰もが面白いと思う動きも言葉も出せないということになるのです。
欽ちゃんが時代劇の指導を公開でしているときのことです。暖簾を上げて入ってくる時も、端を掴んだら少し溜めを作って、おもむろに入っていたときに斜め上を見つめます。実際には、そんな風に入ってくる人はいないのだけれど、人が入ってきたという印象が引き立ちます。
83歳になるのに、何かを伝えたい、残したいと思う気力は、さまざまな悔しさから来るのかもしれないと思いました。それは満ち足りるということを知っているということです。
マイナスの感情を根拠とするプラスの事象に目を向けていきたいと思います。