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「煩悩」から自由になるには?

(出典:書き下ろし)

 明けましておめでとうございます。今年も皆様とともに禅の教えについていろいろな視点から考えていければと思います。よろしくお願い致します。

 鎌倉、円覚寺の管長、横田南嶺老師の著書にありました面白いやりとりを紹介させていただきます。寺に坐禅に見えられた一般の方が、「なかなか煩悩が取れません」、「雑念、妄想が取れません」と言ったところ、老師は、「さようでございますか。でもですね、おそれながら、あなたから煩悩と雑念を取り除いたらたぶん何も残らないと思いますよ」と返答したというのです。

 

嫌味に聞こえるかもしれませんが、これは嫌味ではなくて、煩悩も妄想も全部なくなったらそれでいいのですか、ということなのです。そういうものが人間の生きる活力にもなっているからです。

(横田南嶺『臨済録に学ぶ』より)

 

 煩悩というと一般的には悪いもの、取り除かなければいけないものという印象を持ちますが禅の教えでは煩悩もひっくるめた「自己」そのものに目を向けなさいともいいます。 煩悩を消すのではなく、煩悩があることを受け入れて、うまく付き合っていく方法を学ぶことも我々の生活において重要なことです。煩悩=ダメなものという固定観念から自由になって、煩悩をうまく生きる活力につなげていけるのであればこれほど良いことはないでしょう。

 詩人の谷川俊太郎さんが子供からの質問に答えたやりとりで次のようなものがあります。

(質問)
宿題が効率よくできません。
なぜなら、ゲームのことばかり考えてしまうからです。
どうしたら、ゲームのことを考えずにすむでしょうか?
(利太郎 8歳)

(谷川さんの答)
うちの人や先生に相談して、
学校を休んで、
宿題も勉強もしないで、
ゲームのことだけを考えて、
一日中ゲームをする。
それが何日つづくかためしてみる。
いつまでやってもゲームにあきないようだったら、
ゲームを作る人になるための
勉強を始める。

(『星空の谷川俊太郎質問箱』p54-55より)

 

 このやりとりの前提として、8歳の利太郎くんは必ず保護者の方から「ゲームばっかりしちゃダメだからね」というしつけを受けています。そのこと自体は間違いでも無いのですがどこかで「ゲーム=ダメなもので、できればしない方が良いもの」という大人の意図が見え隠れしています。今となってはこのような考え方も古いものだと思いますが、大切なのは、ゲーム自体が煩悩なのではなくて、それと向き合う人の心に煩悩が生じているということです。
 谷川さんはあえてこのゲームにどっぷりと浸かってみなさいという自由で新しい視点を利太郎くんに提示しました。ここでは続けられるか、続けられないかという視点はもはや関係なくなっていて、ゲームというひとつの物事に対して一心にぶつかっていく時間を作ってみましょうという提案がなされています。不思議なものでこれは禅の教えでいう「無心」に繋がっていきます。「何も考えないようにする」のではなく、「目の前のことに一心に向き合う」ことで自己が得られる気付きに目を向けよ、という教えです。
 ゲームのことが気になってしまうのであればゲームを捨ててしまうのではなく、ゲームというものにしっかりと向き合って自分自身で答えを見極めていく。そういったものの見方や考え方がこれからの人生において大切なのだと谷川さんは8歳の利太郎くんに諭しているのだと思いました。(もちろん、これを本当に実践するためにはまわりの大人の理解が不可欠です。)

 煩悩=悪いものという固定観念は私たちの頭にどうしても染みついていますのでこれをいきなり転換するのはなかなか簡単なことではありません。まずは日々の生活の中でしっかり自己と向き合い、その中で得られた気付きを大切にするということから始めてみましょう。
令和7年が皆様にとってよりよい一年となるよう祈念申し上げます。

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