気づき・・・それは噫(ああ)無常(むじょう)
(出典:『花園』2月号 おかげさま)
まだまだ肌寒い日が続いています。立春を迎える2月といいながらも、春の訪れはもう少し先になりそうです。
さて、2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日、「涅槃」です。お釈迦さまは最期を迎えるにあたり“世は無常であり”“いのちは儚いものだ”と弟子たちに諭されました。その時、説かれたのが「宜しく勤行精進すべし」(三巻本『大般涅槃経』巻下)という言葉です。
これは、この世に生を授かった以上、いつかは最期を迎える日が訪れるという覚悟を持てということでしょう。そして「勤行精進」とは今いただいている“私のいのち”をしっかりと使い切り、一日一日を大切に生き切ることを説かれているのだと思います。
また、この教えは「涅槃」の本来の意味である“迷い苦しみの火を吹き消す”ことにも通じるのではないでしょうか。
私は28歳の時、寺の先代であった父が病を患い60歳で亡くなりました。父の最期を目の当たりにして、私は世の無常に大きな衝撃を受けました。
ところが、父との死別後、悲しみに浸っている暇もないほど迷い苦しむ生活が始まりました。というのも、それまで副住職という立場に甘えて、のんべんだらりと過ごしていた私が、突然住職へとなってしまったからなのです。住職になった以上は、葬儀の依頼などの檀家さんとのやり取りや寺の業務一切、今まで父が行ってきたことを全て、今度は私がやらなければならなくなったのです。私は、目の前のことを只々こなしていくだけで精一杯でした。
「身近かな人の死に逢うたびに わたしは人間のいのちのはかなさにガクゼンとします この世に人間として生きている尊さを骨身にしみて感じる時 わたしには仕事への闘志が湧いてきます」
これは、私が住む足利市出身の仏教詩人であり書家である相田みつをの作品です。昨年、生誕百年を迎え、地元の美術館で相田みつを展が開催された際に展示されており、私の目に留まりました。
この詩ができたのは、相田みつをが37歳になる年のことです。当時、大変親しくしていた写真家のM氏が、自宅で創作活動をしている相田みつをの姿を撮影しようと訪れました。そして、試しに一枚シャッターを押したその瞬間、M氏は脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。相田みつをは、この経験を通して、人間のいのちの儚さや尊さを学びます。そして、いつかは最期を迎える日が訪れるからこそ、一日一日を大切に、いのちを使い切り、生き切らなければならないことに気づかされたのです。また、その思いを仕事への闘志に変えることで、数々の素晴らしい作品が生み出されることになります。
この相田みつをの詩は、私の胸に深く突き刺さりました。父との死別により私も世の無常にやるせなさを感じておりました。とはいえ、右も左も解らない中で住職になった私は、父の苦労が骨身にしみるにつれて、父への感謝の念とともに、今度は「自分がお寺を護っていかなければならないのだ」という闘志が自ずと湧いてきました。
当時を振り返ると、私は迷いや苦しみの中にいながらも、一日一日をがむしゃらに生き切ることで、様々な思いが吹き消され、すべてを前向きに捉えていたように思います。
世の無常は、時に死別によって心の落ち込みをもたらすこともありますが、反対にその死別をバネにして、前向きに心が切り替わることもあるのです。誰しも避けることができない無常との出会い、だからこそ、一日一日を大切に、いのちを使い切って生きていきたいものです。