一寸の行動
(出典:「瑠璃灯」37号)
自坊で草取りをしていた時、ふと雲水時代の作務の時間を思い出しました。
竹箆を使って草を抜いていく作務はとても大変でした。ある雲水が「除草剤を撒いた方が早い」と提案しました。一緒に作務をしていた老師が一言、「一つ一つ草を抜くことは自分の煩悩を一つ一つ取り除くようにするのだ」とおっしゃいました。この一言は何十年たった今でも私の頭に残っている大切な言葉であります。毎日抜ける範囲は少しですが、数日過ぎてその場所を見回すととても美しくなっており、気持ちもすっきりしていたことを憶えています。毎日の少しずつの積み重ねが大事であること、隠元禅師の『普照国師広録』の、「一尺の説法より一寸の行動」という言葉の通りだと実感しました。
小学生を対象に、夏休みを利用して朝の会を催したことがありました。まずラジオ体操、次に坐禅、作務、最後は食事をするスケジュールでした。作務は境内の草取りです。最初は文句を言いながらでしたが、次第に静かになり真剣に取り組む姿に変わりました。終わりの合図をしたとき、汗を拭きながら自分のした所を見て、「綺麗になって気持ちいい」、と言っている子もいました。その感動を覚えていて成長してくれることを祈りました。
論語の「君子ハ欲下訥ニニシテ於言一ニ而敏中ナランコトヲ於行上ニ」(君子は言に訥にして行いに敏ならんことをほっす)は、言葉でかっこいいことを言うのではなく、小さなことでも俊敏に行動せよ、という深い意味があります。
また中庸には「庸ノ徳ヲ之レ行ヒ庸言ヲ之レ謹ム」(庸の徳を之れ行ひ庸の言を之れ謹む)があり、言葉を慎んで毎日の行いをしっかりすることが徳を積むことだと、教えてくれます。
時代が異なっても同じような言葉が残されるのは、大切なことは不変であるのだと思います。無言で行動する姿は徳そのものであります。
「一尺の説法より一寸の行動」という隠元禅師の言葉を大切に、日々の生活送ることが徳の第一歩であると考えております。