宗祖隠元禅師の徳行
(出典:「瑠璃燈」37号)
黄檗宗の御開山隠元隆琦禅師は、小さい頃から家族を大事にされ、また生き物をとても大切にされて、街に出ては食用に売られている生きた魚や鳥を買って、放しておられたといいます。しかも、こうした行いは成人となってからも続き、仏道修行の合間でも続けられていたといいます。
この宗祖の徳行は、中国でもよく知られていて、日本にも伝えられていたといいます。日本で黄檗山萬福寺を開創することが決定したときも、必ず放生池を造るようにと指示され、寛文五年(1665)の夏に山門前に完成しています。宗祖が、住持を退任されて松隠堂に移られた75才の時、なぜ生命を大事にするのかということについて詩を書いておられますから、それをご紹介します。
百歳長宵夢 幾能醒一塲 百歳長宵の夢 幾たびか能く醒むること一場ぞ
四生仝性命 何忍更殘傷 四生性命を同じうす 何ぞ更に残傷するに忍びんや
布德及鱗羽 興慈至善良 徳を布いて鱗羽に及ぼし 慈を興して善良に至らしむ
力行廣濟道 物我樂無彊 力行は広済の道 物我楽 彊まり無し
〔大意〕人生とはその場限りの長い夢のようなものだ、何度生まれ変わろうがはかない生涯というしかないではないか。人はもとより、鳥や魚と、生まれに違いがあろうとも、授かった命という点では皆同じである、どうしてこれ以上、傷をつけることがあってよいものか。徳を施すなら 人ばかりか魚や鳥にも広げ、慈愛の気持ちをおこして誰もが善良な方向へ向かうようにと導きたいものだ。こうした努力こそがまさに衆生済度の道なのであって、自分はおろか周りの人々の喜びも最上のものとなるはずだ。
〔注〕①【百歳】人生のこと。②【一場】その場限り。僅かの間。③【四生】生物の生まれ方の種類。胎生(人間、獣)、卵生(鳥)、湿生(蛙、魚類)、化生(蝶)。④【性命】天から授けられたという持ちまえの性質と運命。⑤【残傷】そこない傷つける。けが。⑥【鱗羽】鱗は魚類を、羽は鳥類を表す。⑦【善良】人の性質がすなおで穏やかなこと。また、そのような人。⑧【力行】力の限り努力して行う。⑨【物我】[仏]「物」は衆生。自分と他人。
この詩を読んでいると、同じ命を持つ動植物に対しても、人はもっと慈愛をもつべきだという宗祖の信念が読み取れます。鳥や獣、魚などの生き物を放してやるという「放生」の行為によって、その功徳ははかりしれないものがあることを、宗祖は穏やかに説いて教えて下さっているのです。
こうしたことから、宗門では隠元禅師を「徳行」に優れた方として、「道行」に優れた木庵禅師、「禅行」に優れた即非禅師の和尚方とともに「黄檗三師」と呼んで讃えています。また、大きな法要をする度に、放生の行事を行うことを慣わしとしています。