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周利槃特について

(出典:「瑠璃燈」37号)

お釈迦様のお弟子に周利槃特しゅりはんどくという方がおられる。この方にはお兄さんの摩訶槃特まかはんどくという方がおられ、一緒にお釈迦様のお弟子になられた。兄の摩訶槃特はお釈迦様の言われたことをすぐに覚えることができたが、周利槃特は自分の名前も覚えられないほど物覚えが悪く、お釈迦様は彼に一本のほうきを与え、毎日掃除をするようにと云った。そして周利槃特は毎日毎日 箒で掃除をすることによりお悟り開き、仏弟子の一人に数えられるようになった。この周利槃特が亡くなった後、そのお墓に生えてきたのが茗荷みょうがであり、今日でも茗荷を食べると物忘れをすると言い伝えがある。専一の修行の尊さを説く有名な逸話である。

滋賀県では、戦後早々に全国に先駆け障がい児施設「近江学園」が創設された。参画した三人のうちの一人に田村一二さん(1909~1995)がおられ、その方の書かれた書物『茗荷村見聞記』はこの周利槃特を題材に書かれたものである。これは健常者も障がい者も共に楽しく過ごす理想郷建設に向けて活動される物語で、後に山田典吾監督、長門裕之主演で映画化された。面白くできた映画で、当時は全国的に茗荷会が出来、「賢愚和楽けんぐわらく」の理想郷建設の取り組みがされたが、現在では滋賀県の東近江市の山中に農業生産を中心にNPO法人として存続している。

ところで、令和3年7月から10月にかけて九州国立博物館で「明国からやってきた鬼才仏師范道生はんどうせい」展が開かれた。黄檗山には范道生作の像は開山隠元禅師像はじめ本堂の十八羅漢像や祖師堂の達磨大師像、禅堂の白衣観音像など沢山ある。

今回はその中から達磨大師像と十八羅漢像の羅怙羅らごら尊者と半陀迦はんだか尊者が出展された。この 仏師范道生(1635~1670)は36歳で亡くなっているので1660年に来日し、一時帰国した期間もあり、活動期間はわずか6年弱であったが、黄檗や九州の寺院に多くの足跡を残している。

この羅漢像の半陀迦尊者は先に述べた兄の摩迦槃特であり、両目を見開いて、宝珠ほうしゅをとり右手を高く振り上げ、龍が出てくる鉄鉢を左手で掲げ、両足を大きく広げ腰を掛けている姿はいかにも勇ましい姿である。一方、出展はされていないが、半眼で両手を前で組み結跏趺坐けっかふざしている注荼半陀迦ちゅうだはんだか尊者は弟の周利槃特である。このことは一般的にあまり知られていないが、半眼で毎日の日課の掃除を終えて心身共に清浄になって静かに座っておられるようである。この注荼半陀迦尊者を見ていると本当に地味な姿であり、自分の道を求めるために常に修行されているようである。私もあやかりたい気持ちで毎朝お会いできるのを楽しみにしている。

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