霊験の姿
(出典:書き下ろし)
春秋の彼岸や熱い最中のお盆にも、遠方から墓参に来られるお婆さんがおられます。お参りの際には墓前にて丁寧に合掌をしてお経をお唱えしている姿を度々見かけます。先日はそのお婆さんから貴重なお話を聞かせて頂きました。
昨年九十歳を迎えられ、それは神さま仏さま、ご先祖様と家族のお陰なのだと、目を輝かせながらお話下さりました。そして、「お経にも助けられています」とも教えて下さいました。
お婆さんは子どもの時に住まいがお寺の近所であり、遊び場はもっぱらお寺だったので、当時のご住職(先々代住職)にとても可愛がられていたそうです。また、当時のご住職に常々『延命十句観音経』をお唱えしなさいと言われていたのでした。
「『延命十句観音経』を読むと元気になるぞ、お墓で唱えると眠っている人が安らかになり、お骨が溶けていくよ」と教わったそうです。
お婆さんはその言葉を今も大切にされており、お墓参りの時も、日常でも『延命十句観音経』を読む習慣が身に付いておられ、お経の力のお陰で今日まで元気に過ごせてこられたと仰ってくださいました。
『延命十句観音経』は『十句観音経』とも呼び、四十二文字・十句からなる短い経文です。朝夕に観音さまを念じて心に観音さまを想い抱くなら、その功徳は自ずと現われ、功徳多きお経と伝わっております。その功徳の霊験を記した書物も多く残されており、かの白隠禅師(一六八五~一七六八)も晩年に『十句観音経霊験記』を記されて様々な霊験を伝えて下さっております。
しかし、江戸時代ばかりではなく、現代にも霊験譚は数多くあるのだと思います。
平成二十七年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智先生は私費で故郷に美術館を建設する等、私利私欲のない慈悲行の人としても知られております。その大村先生も『延命十句観音経』を唱えているそうです。また、その理由がとても感銘深いものだと知りました。
大村先生の故郷は山梨県で、高校・大学時代は勉強の傍らスキーに熱中していたそうです。ところが、先生がスキーに出かける時は必ず地元の人が皆な、前もってそれを知っていたそうで、先生はそれが不思議でならなかったそうです。
その後、先生のおばあさんが亡くなった時に、おばあさんが近くの観音堂で「孫がスキーで怪我をしないように、無事に帰って来るように」といつも先生がスキーに行く前にお祈りしていたことがわかったそうです。生前のその姿を村の人は目にしていたのです。
そして、おばあさんがお参りしていた観音堂には『延命十句観音経』が書かれていたことを知った大村先生は、おばあさんに深く感謝するとともに、『延命十句観音経』を唱えるようになったそうです。
孫である大村先生のために、おばあさんが一所懸命にお祈りをしてくれていた。そのお気持ちと目に浮かぶお姿が、大村先生にとって大きな力になったのでしょう。
多くの困難を乗り越え、後に「二億人を病魔から守った」と称賛される先生のご活躍には、おばあさんの祈りの『延命十句観音経』の霊験があったのでしょう。
霊験は「現われる霊妙な験(しるし)」と意味しますが、真に霊妙な験は信じて祈り唱えるその姿、その真心にこそあるのだと思います。古歌には、
祈りても 験なきこそ験なれ 己が心のまことならねば
とあります。前述の九十歳を迎えられたお婆さんは、小さい時からご住職の教えを信じ、『延命十句観音経』を墓前で、日常でも唱えておられる。今は元気に生きてこられた感謝の祈りとなり、その姿と真心は、子・孫にも伝わっているようです。家族みんなで手を合わせてお参りする姿に、霊験の姿が現れています。