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『いま、ここを生ききる』

(出典:花園誌10月号 おかげさま)

少水しょうすいうおに楽しみ有り」――これは興祖微妙大師様の墨蹟にある一語ですが、古来の経典や語録には見当たりません。微妙大師様があえてつむがれた言葉といわれています。

興味深いのは、『法句経』に「ここに何の楽しみか有らん(そこに何の楽しみがあろうか)」という逆の趣旨が記されていることです。このお経の言葉には前置きの部分があり、全体では「今日という一日が過ぎれば、命もそれに随って減っていく。水たまりに泳ぐ魚のようなもので、そこに何の楽しみがあろうか(いや、楽しみはない)」と説かれています。これは、人間の限られた寿命の中で、その苦しみから脱するために、ただちに修行をすることの必要性をさとした言葉です。

 

それでは、なぜ微妙大師様は楽しみを「有り」と改められたのでしょうか――。言うまでもなく、ここでの「楽しみ」とは、世間一般の苦楽を超えた「安楽」の境地を指しています。私はその意味を、祖父である松原泰道師より学びました。

百一歳の寿命を生きた祖父は、さきの戦争を経験しました。軍隊に召集されたとき、「お国のためなら死をもいとわない」と覚悟していたそうです。

それでも生還し、戦中の過酷な環境のせいで大病を患っていたある晩、寝床から子ども達が線香花火で遊ぶ様子を眺めていました。小さい火花が闇の中に舞い、やがて消えてゆく様子を見つめながら、命のはかなさに思いをめぐらせたのです。

戦地では死を恐れなかった祖父でしたが、「せっかく生きて帰ってきたのだから、病気では死にたくない」と、「生を惜しむ」ようになっていました。そして、自分で生きているのではなく、生かされているのだと気づいたのです。線香花火のように限られた命が、いまこうして燃えている。いまここに生きていること自体に、たいへんな意義があると、頷きとることができたのです。

 

「ようし、私の命が線香花火ならば、湿って途中でくすぶったり消えてしまうことのないように、与えられた短い一生を精いっぱい燃焼させよう。そして、自らも明るく周囲を照らしてゆこう」とその時心に誓ったのです。

 

以後、祖父は「生きつつあることは、死につつあることである」と折に触れて語りました。今日一日生きるということは、確実に一日死に近づいている。まさに私たちは、刻々と干上がる水たまりの中の魚です。

そのことを受け止めた上で祖父は「悲観に沈んではいけない。一日一日死に近づいている私たちだからこそ、今日という日をしっかり生ききらねばならない」と説いたのです。

私たちは、はたして祖父のように一日を生きることができているでしょうか。死に向かって歩んでいる日々のなかで、今日を生きられることほど尊いことはありません。であるならば、生かされている自分を感謝し、目の前の「いま、ここ」を、精いっぱいに生きることが肝要なのです。

 

私はいまでも祖父が亡くなる年の正月、語った言葉が忘れられません。

「私はいま、人の助けがなければ一人で寝起きもできません。読むこと、書くこと、話すことしかできませんが、生きている人の心に明かりをともす法を説きたい。そのために、生きている限り学び続けたい」

この祖父の姿こそ、「少水しょうすいうおたのしみ有り」の生き方にほかなりません。そして、そこにこそ安楽が有ると、私は思うのです。

 

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