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『手紙に助けられる幸せ』

(出典:花園誌11月号 おかげさま)

 ある日、毎年来られる知人が訪ねてきました。
この知人は、陸前高田市の広田町内で、東日本大震災で亡くなられた方々へ、家族からの宛先のない手紙を受け取る「漂流ポスト」という活動をしていらっしゃいました。
当初は東日本大震災で犠牲になられた家族の悲しみに寄り添い、一日も早く心が安らかになるようにとこのポストを始められたのです。

これまでに全国から寄せられた手紙は、10年間で一千通をこえたとのことです。
毎年、新しく届いた手紙を持参されて、一緒に「手紙供養」を行うのですが、そのたびに私は、「悲しんでおられる方々に手を差し伸べるのは、本来、私の仕事なのに・・・。申し訳ありません」と忸怩しくじたる思いでした。
その知人が今回訪ねてきた用件は、供養ではなく私への依頼でした。事情があって、漂流ポストを続けることができなくなったとのことで、「皆さんから、やめないでくださいと多くの声をいただいていますので、代わりにこれからの管理運営をお願いできないでしょうか」という内容だったのです。
果たして私にできるかどうか不安もありましたが、決心して「わかりました」と承諾し、いまは毎日のように全国から届く手紙の管理運営をさせてもらっています。
最近は震災で家族を亡くされた方からの手紙だけではなく、大切な家族と別れた悲しい思いをつづった手紙も見られるようになりました。
私たちが生きていく道のうえには、悲しみ・苦しみ・悩みなどが必ずつきまといます。特に、家族との別れは、つらく悲しいものです。その大変な思いを、誰かに書いたり話したりすることで、心は不思議と軽くなるものです。

たとえば、このような声が寄せられています。

「手紙を書いていると気持ちが穏やかになった」「手紙を書くことが生きる糧になる」「手紙を書いて出すことで前向きになれた」などなど・・・・・・。

皆さんいろんな思いをポストに託して手紙を書いておられるのだと痛感しました。
普段は亡き方の姿を見ることや声を聞くことはできませんが、手紙を書いているときだけは、スーッと亡き方の元気だった頃の姿が見え、声が聞こえてくるのでしょう。
ポストに会いにきていろいろと話しをされ、そして最後には幸せそうに満面の笑顔で帰られる姿を見て、こちらまで幸せな気持ちにさせてもらえるのです。

私たちはつい、あの頃はよかった、いつの日かこうなりたいと、過去や未来に心が向かいがちです。しかし、「いま、ここ」に安らぎはあり、幸せがあるのです。人生はつらいけれども、このように手紙に助けられて、心の安らぎや生きることへの幸せを感じていただければ嬉しい限りです。
これからも、手紙の一字一句を大切に読ませていただくことを亡き方々への供養とし、また同時に、手紙を書いて悲しんでおられる方々の幸せを祈り続けてまいりたいと思います。
暑い日も、寒い日も「幸せ」の光を放ちながら、「漂流ポスト」は今日も手紙を待っています。

 

さみしい 会いたい

愛しい 会いたいよ

お母さんがんばるからね またお手紙書くからね

 

ある手紙の一文より

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