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コロナ禍と「知足」

(出典:書き下ろし)

世界中を襲ったコロナ禍が、危機的状況より落ち着き、数年が経ちました。そんな中、思うことがありまして、今回は「知足ちそく」という仏教の言葉をご紹介させていただきたいと思います。

 

「知足」とは、「足ることを知る」と書きます。足ることを知らないと書くのが、「不足」ですが、足ることを知ると書いて知足です。仏教の経典『遺教経』の中で、お釈迦さまが遺された大切な教えのひとつです。「足りない」と嘆くのではなく、「いまあるもので、すでに満ち足りている」と気づく心を持つという意味です。決して我慢や妥協ではなく、豊かさに目覚める視点の転換だと言えるでしょう。

 

この教えに通じる言葉を、「世界でいちばん貧しい大統領」として人々に親しまれた南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が語っています。

「貧しいのは少ししか持っていない人ではなく、いくらあっても満足しない人だ」

──2012年、国連での彼のスピーチは多くの人々の心を打ちました。

ムヒカ氏は大統領の給与の大半を貧しい人々に寄付し、公邸には住まず、愛妻と愛犬と共に小さな農場で質素な生活を送りました。そうした実生活に裏打ちされた言葉だからこそ、人々に深い説得力をもって響いたのだと思います。ムヒカ氏自身は仏教徒ではありませんが、その思想はまさに知足の本質に重なります。

 

今の私たちは、100年前の人々が想像もしなかったほど便利で豊かな生活を送っています。

電化製品や交通網、24時間営業の店、美味しい食べ物の手軽な入手。けれども、こうした「当たり前」に慣れてしまうと、つい「もっと」を求めてしまう自分に気づくことがあります。

そのような中で、日常の中にある「ありがたさ」とは何かを改めて考えさせられたのが、2020年前後から始まったコロナ禍でした。

人と会うこと、話すこと、集まること──それらすべてが制限され、学校行事や冠婚葬祭さえ中止になりました。それまでごく普通だった日常が、いかにかけがえのないものであったかを、私たちは改めて実感したのではないでしょうか。

しかし、医療従事者の皆さまはじめ、多くの方々のご尽力のおかげで、日常が戻りつつある今、あの頃に強く感じた日常の中の「ありがたさ」も、私たちの中で少しずつ薄れてきているように思います。自分自身のことを振り返れば、マスクを外して人と顔を合わせられることだけでも、当初は本当に嬉しかったです。それも今は「当たり前」だと思うようになりました。人間というのは、不便や困難の中でこそ感謝を実感し、逆に平穏が続くと、その感覚をいつのまにか手放してしまう生き物なのかもしれません。

 

だからこそ、改めて「知足」の教えを心に留めたいと思います。今ここに在ること。顔を合わせ、語り合えること。家族や仲間と食事をしながら、穏やかに過ごせる一日があること。それらは決して当たり前ではなく、十分すぎるほど有難いことなのだと私は思いました。

そのことを思うだけで心が不思議と満たされることもあります。

 

私たちは富が増えることで心が満たされるのではありません。「今あるもの」に感謝できたとき、私たちの内側に本当の豊かさが育まれていくのだと思います。

どうか皆さまにとってこの「知足」という言葉が、心のどこかにそっと残ってくだされば、何より嬉しく思います。

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