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日々精進

(出典:「瑠璃燈」37号)

広辞苑に、徳とは

①道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。身に着いた品性。
②人を感化する人格の力。めぐみ。神仏の加護。
③利益。もうけ。富。とある。

 まず“徳ある人″ですぐに思い浮かぶのは、第60代黄檗宗管長萬福寺住職、仙石泰山東堂猊下である。

30余年前のことだが、ある観音堂でのお施餓鬼の際、賑やかな盆踊りの隣での行事という条件もあってか、はじめて小引馨(*1)を渡された。鳴り物を習ったこともないのに、「初盆の人のために賑やかな方が」と思って、分らぬままに鳴らしてしまった。帰り道、他の和尚さまの「今日はひどかった」のつぶやきで、自分の大失敗に気が付いた。しかし、猊下はお叱りにならなかった。その度量の広さに救われ、今の自分がある。
次に思い当たるのは、私事であるが、20代で勤め人だった頃のこと。自分を厳しい状況に追い込んで見つめたいと思った時、どういうわけか本山に行ってみようと思い決行した。40余年前の寒い2月の夜の事である。黄檗駅に着いたものの門は既に閉まっており、朝まで門前に座りこんだ。未明になって大雄宝殿の中で朝課を体験させていただいた。終わって、修行僧の方が、座禅をすすめて下さり、朝粥もいただいた。その後、年配の禅僧の方が抹茶を入れながら、お話をして下さった。おそらく、このまま帰したら自殺でもしそうに見えたのであろうか。忘れられない体験である。今振り返れば、そこが修行の場であるという安心感があった気がする。本山の風景にも癒されるが、それ以上に日々修行・精進している人達がいる場という安心感、この時本山にあったものも「徳」といえるのではないだろうか。
こうして、縁あって修行の身となったある把針灸治(*2)の日、気になっていた白壁に付着した汚れを、一人でこっそり洗い落とした。さっぱりした気分になったものの、誰も気が付かないので、つい一人の先輩に喋ってしまい、「あなたのそういうところが限界です」と言われたことがある。“陰徳”の大切さは知りつつも、実践は難しいものである。そして今も徳とは縁遠い人間であり、日々の修行あるのみだ。
徳行は難しいが、自坊を訪れた人が、落ち着いて長閑にすごし、活力を取り戻してくださるよう、日々精進しながらこの場を大切にしていきたいと思う。

*1 仏教楽器の一種
*2 摂心の始まる前に前日に与えられる心身整備の日のこと

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