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『心を込めて』

(出典:花園誌12月号 おかげさま)

「焼き加減は、心を込めて」
これは96歳の祖母の誕生日祝いで、近所の焼き鳥屋を訪れた時、祖母が口にした言葉です。
お肉が大好きだった祖母は、席に着くなり笑顔で「鶏もも肉のステーキをお願いします」と注文しました。店員さんが「焼き加減はいかがなさいますか?」と尋ねると、祖母は間髪を入れず「焼き加減は、心を込めて」とニッコリ。私もそれに倣って笑顔で「心を込めてお願いします」と重ねて伝えると、店員さんも思わず笑顔に。その後、厨房に向かって「鶏もも肉のステーキ一丁!焼き加減は、心を込めて!」と大きな声で伝えていました。すると店内には「心を込めて」という言葉が一杯に広がり、なんともいえない温かさに包まれました。その一言は、ただの注文ではなく、祖母の人生の深みがにじみ出た言葉だったように思います。
祖母はその後、104歳で静かに旅立ちましたが、決して楽な人生ではありませんでした。戦前・戦中を生き抜き、お寺に嫁ぎ、戦後は住職を支え、家族を守りながら一日一日を積み重ねてきました。また、生まれつき足が不自由で、日々の暮らしのなかにも苦労が絶えませんでした。しかし、どんなに厳しい状況であっても、祖母は「心を込める」ことを忘れませんでした。苦しみや不自由を嫌うのではなく、それらをそのまま受け入れ、心を込めて丁寧に生きていたのです。
興祖微妙大師のお言葉に「少水しょうすいうおに楽しみ有り」とあります。たとえ厳しい環境にあっても、心の持ちよう次第で楽しみや喜びを見いだせるという教えです。まさにこれは、祖母の生き方そのものであったのではないかと思うのです。
私たちはつい、「もっとこうだったら」「あれさえあれば」と環境のせいにして不満を持ち、どうにもならないことを変えようとして苦しみ、外に向かって「楽」を求めてしまいがちです。しかし祖母は、思い通りにならない苦しい状況にあっても、心を柔軟に保つことでそのまま丸ごと受け入れていました。すなわち、気難しい住職を気難しいままに支え、不自由な足を不自由なまま自由に扱い、不便な事象を不便な事象のままに受け入れる。こうして心を柔軟に保つことで、苦しみにすら心を込め「楽」を見出してきたのです。これが、祖母の生きる智慧であり、まさに「少水の魚に楽しみ有り」の境地であったと思うのです。
つまり、あの時、祖母が発した「焼き加減は、心を込めて」という一言の中には、祖母の人生の苦楽が凝縮されていたのです。どれだけ裕福であっても、どれだけ華やかであっても、そこに心がなければ本当の楽はありません。だからこそ、「苦しみにすら心を込める」ことで、全てを楽として受け入れていけるようになるのです。
祖母の一言は、小さな言葉だったかもしれません。けれどもその小さな言葉が、笑顔を生み、場を和らげ、心を温めたのです。祖母の生涯に、特別な称号や華々しい功績はなかったかもしれません。しかし、毎朝本堂で手を合わせ、今日という一日を、丁寧に心を込めて生きる。その一挙手一投足は仏の教えとともにあったのです。
どうか皆さまも、つらく苦しい時、「少水の魚に楽しみ有り」という言葉を思い出し、その苦しみにすら「心を込めて」みてください。もしその時、心がほころび皆さまの顔に少しでも笑みが生まれ、今ここを生きる幸せを少しでも感じられたならば、祖母もきっと喜んでくれると思います。

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