夢窓疎石の教え-求めることと、手放すこと
(出典:書き下ろし)
大本山天龍寺の開山である夢窓疎石(1275–1351)は、鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した臨済宗の高僧です。
生前に夢窓・正覚・心宗、亡くなられた後に普済・玄猷・仏統・大円、と七つもの国師号を歴代天皇から賜与されたことから「七朝帝師」と呼ばれることもあります。また、天皇家からだけではなく、当時後醍醐天皇と政治的に対立していた足利尊氏や直義らにも師として迎えられたことからも、夢窓疎石が当時の激動の社会において与えていた影響力の大きさを物語っています。
夢窓疎石が悟りを開いた際に詠んだとされる偈(投機の偈)には次のようにあります。
多年地を掘って晴天を覓む
添え得たり重重礙膺の物
一夜暗中に碌甎を颺ぐ
等閑に撃碎す虚空の骨
(荻須純道(1944)『臨済禅叢書7 夢窓大燈』東方出版p40より)
(訳)
長い年月をかけて、土を掘って空を探すような馬鹿なことをしていたものだ。
そんなことをしていたから、ますます胸がつかえるばかりだったのだ。
今夜はなんと暗闇の中へ瓦を吹っ飛ばし、
思いがけなくも宇宙を木っ端みじんに粉砕してしまったわい。
(西村惠心(2014)『夢中問答入門』角川ソフィア文庫p24より)
「長年にわたって土を掘りながら晴天を求める」という出だしは、悟りを外に探し続けてしまう、「間違った」修行をしていた自分自身や修行者に対する皮肉のようにも思えますが、修行者が誰しも抱える錯覚を照らし出す慈悲が込められていると取ることもできます。「瓦」は、禅の世界では古くから形ある依りどころや概念的な執着を象徴することが多くあります。それを暗中に放り投げることは、執着を手放した瞬間のたとえです。そして「虚空の骨を撃砕す」とあるように、その「手放した瞬間」すらも砕きつくしてしまうことで初めて本来の自由自在を見た、ということです。
悟りを求め続け、精進を重ねることは決して無駄ではありません。求めたからこそ執着が生じ、執着が生じるからこそ、瓦を放り投げて、虚空を破る瞬間が訪れるのだともいえます。修行とは、求めることと手放すことの繰り返しであり、その両方が必要だったのです。
たとえば、ある意識の高い若者が「自己成長」に熱心で、スキルを高めようと資格を取得し、最新の本を読み、情報を集め続けていました。ところが、知識が増えるほど「まだ足りない」という不安が膨らみ、気づけば常に焦りに追われている自分がいました。ある日、スマートフォンを手にしたまま駅のホームで立ち止まり、「今の自分は何のために走っているのか」と、ふと思った瞬間、心が急に静かになり、その場で検索する手を止めました。何かを得ようとしてきた長い時間が、その一瞬にふとほどけていった。その後、必要以上に情報を追い求めることをやめ、いま目の前にある仕事や関係に心を向けることで、かえって気持ちが軽くなったといいます。瓦を投げ捨てるとは、まさにこのような一瞬の「手放し」のことではないでしょうか。
情報や知識があふれる「いま・ここ」で、つい「何かを得よう」と求め続けてしまう心は誰しもが起こすものです。決して一様に悪いことであるというわけではないけれども、瓦を放り、一瞬にして虚空を破るのは、外ではなく、「いま・ここ」にある一瞬の心の働きにめいめいが気づくことです。どこにあっても執着に惑わされることなく、目の前のことに心を尽くしていく。その瞬間に晴天は自ずと開けていくのだと思います。