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平常心是道―「いつも通りの心」とは?

(出典:書き下ろし)

 先日行われたミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックのフィギュアスケート・ペアで、いわゆる「りくりゅうペア」こと三浦璃来選手と木原龍一選手が金メダルを獲得しました。
ショートプログラムでは思うような演技ができず、他のペアと比べて遅れを取る形となりました。大舞台での失敗は、選手にとって大きな重圧となります。
しかしフリースケーティングでは、その動揺を引きずることなく、落ち着いた演技を最後までやり切りました。インタビューでも「特別なことをしようとせず、いつも通り滑ることを心がけた」という趣旨の言葉が語られていました。
世界中が注目する舞台で、出遅れた状況から「いつも通り」でいること。それは並大抵のことではありません。過去の失敗にとらわれず、未来の結果に飲み込まれず、ただ目の前の一瞬に集中する。その姿勢こそが、逆転の演技を支えていたのではないでしょうか。

禅のことばに「平常心是道びょうじょうしんこれどう」という一句があります。これは唐代の禅僧、南泉なんせんが弟子の趙州じょうしゅうに示した言葉として知られています。「いつも通りの心こそが、そのまま仏の道である」と訳すことができます。
私たちは「道」と聞くと、何か特別な境地や、立派で清らかな心の状態を思い浮かべがちです。しかし南泉は、そういった特別な心ではなく「平常心」こそが道であると説きました。

では平常心とは何でしょうか。それは怒らない心、迷わない心、常に穏やかな心という意味ではありません。うれしいときはうれしく、腹が立つときは腹が立ち、悲しいときは悲しい。その動きを、そのままに知っている心のことです。
日常生活の中で、私たちはしばしば悩み、苦しみといった感情を抱えることがあります。例えば仕事が思うように進まない。人の言葉に傷つく。思いがけない失敗をする。そのとき私たちは、「こうあるべきだった」「こんなはずではない」と現実に逆らっていこうとします。一般的にこの「〇〇であるべき」という思いが強くなるほど、心はかたくなになり、苦しみは大きくなります。出来事そのものよりも、それに対する私たちの思いが、心を乱してしまうのです。
しかし一方で、「反骨心」という言葉があるように、自分自身が持つ負のエネルギーを上手く良い方向に向けられることもあります。これを心理学用語では昇華しょうかといいますが、昇華において重要なのは平常心、つまり、自分自身の心を冷静に見つめられる目ではないかと思うのです。
平常心とは、あきらめの心でも、何も感じない鈍い心でもありません。怒りが起きたなら「いま怒っている」と知り、悲しみが起きたなら「いま悲しい」と知る。その事実を余計に飾らず、責めもせず、ただ受け止めることです。不思議なことに、そうして自分の心をありのままに見るとき、心は少しずつ静まり、本来の落ち着きを取り戻していきます。

禅の修行というと、静かな堂内で坐禅を組む姿を思い浮かべるかもしれません。しかし本当の修行の場は、家庭であり、職場であり、人と向き合うその瞬間です。朝の忙しさの中でいら立つ自分に気づくこと。思い通りにならない相手に腹を立てている自分に気づくこと。その気づきこそが平常心への第一歩です。

 私たちは特別な成功や特別な安心を求めます。しかし南泉の言葉は、特別を追い求めなくてもよいと教えます。今日の一日を丁寧に生きること。目の前の人に向き合うこと。いまここにある心をそのまま知ること。その何気ない営みの中に、すでに道は開けているのです。心を立派にしようとか、清らかでいようと力む必要はありません。ただ、いまの自分をありのままに見つめる。その積み重ねの中に、静かな安らぎと確かな歩みがあるのです。

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