法話

フリーワード検索

アーカイブ

「上を向いて歩こう〜悲しみとの向き合い方」

(出典:書き下ろし)

坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、永六輔さんが作詞、中村八大さんが作曲を手掛けて1961年に発表され、時代を超えて多くの人に愛されてきた歌です。世界的には「SUKIYAKI」というタイトルで知られ、軽やかな旋律の中に、どこか切なさが漂う雰囲気が日本人独特の「哀愁」という感覚を表しているとして、ひろく海外でも受け入れられました。

 「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」
という歌いだしはとても印象的です。生きていれば、思い通りにならないことがいくつもあります。大切な人との別れ、自分の力ではどうにもならない現実、理解されない苦しみ。そうしたものに出会うたび、私たちの心は下を向かずにはいられません。そうした時、禅の教えは、悲しみを「無くせ」とは言いません。むしろ、悲しみや苦しみから目を背けず、それを抱えたまま生きていく道を示しているように私は思います。

 仏教では「四苦(生・老・病・死)」という教えがあり、人は生きることそのものが苦しみであると説きます。つまり、「苦しまない人生」が正しいという事でもなく、苦しみを抱えながら生きずにはおられないのが、人のありようなのだという事です。
 しかし私たちは、苦しみが訪れると「こんなはずではなかった」と思ってしまいます。悲しみを失敗のように感じ、早く消し去ろうとする。しかし、無理に忘れようとした悲しみは、かえって心の奥に沈殿していきます。
「早く元気にならなければ」「前向きにならなければ」と自分を追い立てる。しかし心というものは、そんなに都合よく切り替わるものではありません。むしろ、「今は悲しいのだな」「まだ心が痛んでいるのだな」と、そのまま認めた時に、少しだけ呼吸が楽になることがあります。
「上を向いて歩こう」においても、決して「悲しむな」とは歌っていません。涙はそこにあるのです。悲しみも消えてはいない。ただ、それでも歩むことを止めない。ここに禅の教えが感じられます。

 禅語に「歩歩是道場ほぼこれどうじょう」という言葉があります。一歩一歩、その歩みの場所が修行の場である、という意味です。「修行」とは、特別なことではありません。一歩一歩、日々を生きることそのものです。
 生きていれば楽しい日ばかりではなく、苦しい日もあります。心が沈み、何もしたくなくなる日もあるでしょう。それでも朝になれば起き、顔を洗い、ご飯を食べ、人と会い、一日を過ごしていく。その「今」をしっかりと積み重ねていくことが「修行」なのです。

 苦しい時には、「前向きにならなければいけない」と思い込みがちです。しかし本当は、涙を抱えたままでも良いし、迷いながらでも構いません。大切なのは、「立ち止まったままにならないこと」なのではないでしょうか。悲しみをすべて消し去った場所に悟りがあるのではなく、悲しみを抱えながらでも歯を食いしばって歩く、その一歩にこそ、人が深くなっていく道があるのです。

 空を見上げても、すぐに心が晴れるわけではありません。けれど、下ばかり向いている時には見えなかった光が、ふと目に入ることがあります。それは夜風の心地よさだったり、青空の明るさだったり、あるいは誰かの優しさだったりするのかもしれません。そういう小さなものに支えられながら、人はまた少し歩き出せるのだと思います。
 「上を向いて歩こう」という歌が長く愛されてきたのは、単なる励ましの歌ではないからでしょう。悲しみを否定せず、それでも前へ進もうとする。その姿が、私たち自身の人生と重なるのです。涙を流す日があってもいい。下を向いてしまう日があってもいい。けれど、また少し顔を上げて歩き出せたなら、それが何よりも尊いことなのだと思います。

Back to list