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「大覚禅師坐禅論」

(出典:書き下ろし)

〈坐禅論とは〉
建長寺開山大覚禅師蘭渓道隆らんけいどうりゅう(1213-1278)には『大覚禅師坐禅論』(以下『坐禅論』と略称)として伝わる書物があります。『坐禅論』の親筆や旧版は世に伝わっておりませんが、蘭渓禅師示寂後350年以上を経た寛永二十年(1643)に刊行されたものがあります。
蘭渓禅師の坐禅に関する著作には、来朝直後の寛元四年(1246)に著された『蘭渓坐禅儀』がありますが、『坐禅論』はこれとは別の著作です。『坐禅論』は、坐禅に対する用心と意義を丁寧に説き、全35の問答形式で修行者の疑問に答えながら、禅の本質へと導く内容となっています。
『坐禅儀』は寛元四年の成立が明らかですが、『坐禅論』は成立時期が不明です。題名からは、我が国初の禅師号「大覚禅師」の勅号をおくりなされた示寂後に、高弟たちが生前の問答を編纂した可能性が考えられます。

 

〈坐禅の入口は菩薩行〉
蘭渓禅師が活躍された750年前も、現代もまた、人々はさまざまな不安や苦しみを抱えながら生きています。 近年、坐禅にはストレスの軽減、集中力の向上、自己肯定感を高める等とその効能が紹介されることがあります。勿論、それらも坐禅がもたらす一つの側面かもしれません。
しかし『坐禅論』では、坐禅は自己救済のためだけの修行ではないと説かれています。迷いに苦しむ人々を救う菩薩行の実践として、自らの心が本来仏であることを自覚する。そのための行が坐禅です。人を救うという願いを出発点として坐禅するところに、禅宗の坐禅の大きな特色があります。そうでなければ、自分は何時間も坐禅が出来る、私は何年も坐禅をしてきたなどと誇り、さらには増上慢ぞうじょうまん(まだ悟っていないのに、自ら悟ったと思い込む)に陥るようになってしまいます。

 

〈心の本質をしる〉
蘭渓禅師は、人の心の本質、本来のありようを「仏心」という言葉で示されます。この仏心から、迷いや悟り、善悪、損得、喜びや悲しみといったさまざまな心の働きが起こってくるのです。しかし、それらは、喩えるならば大空に浮かぶ雲のようなものです。雲は絶えず姿を変え、現れては消え、消えてはまた現れます。同じように、私たちの感情や思いも移ろい続けるものであり、それ自体が本当の自分ではありません。
喜怒哀楽という雲の動きに一喜一憂し、心を振り回されることなく、大切なのは、その雲の向こうに、いつも変わることなく広がっている大空に気付くこと、すなわち「仏心」に目覚めることです。『坐禅論』では問答を通して、「無心」「無所得の心」「一念不生」「智慧の力」といった禅の本質を説きつつ、自らの内に本来具わる仏心に気付くよう導かれています。

 

〈迷悟を断つ〉
さて、蘭渓禅師の出身地中国には「両頭の蛇を見る者は死す」という古いことわざがあります。これは、人生において「あれか、これか」と迷い続ける心の喩えでもあります。生と死、損と得、迷いと悟り──二つにとらわれ続ける心は、いつまでも真の安らぎを得ることができず永遠に迷いの心に捕らわれてしまいます。
昔、両頭の蛇を見た子どもが、「僕は両頭の蛇を見てしまったから、ことわざ通りに死にます」と泣きながら母親に話しました。すると母親は、「坊やはその蛇をどうしたの?」と尋ねます。子どもは、「私の後にこの蛇を見た人が死なないよう、その蛇を深くに埋めてきました」と答えました。母親は微笑んで言いました。「坊やはもう大丈夫。その心掛けが、両頭の蛇を断ち切ったのだから」。子どもはその後、無事に成長し、多くの人々に慕われる立派な政治家になったと伝えられています。
この話は陰徳の功徳を説く話だけではなく、損得・是非・迷悟といった相対的な分別(両頭の蛇)を断ち、その根底にある本来の心、すなわち仏心に立ち返ることを教えています。そして、その仏心に目覚める鍵となるのが、「人を救いたい」という大悲の心でした。 自己の安楽だけを求める執着を離れ、人々の苦しみに寄り添い、ともに歩もうとする慈悲の心こそが、仏心へと至る道を開くことを教えているのでしょう。

 

〈大解脱の法門〉
昨今の不安定な社会情勢の中、生きる力を失ってしまったと感じる方も少なくありません。しかし、『坐禅論』は、そのような苦しみの中にある人々にこそ希望を示しています。「坐禅は大解脱の法門なり」と冒頭に説かれる一句は、苦しみが消えることではなく、苦しみに縛られた心が執着から解き放たれ、本来の自由な心を取り戻すことを意味します。
雲が空を覆っても大空が消えないように、深い迷いの中にも、仏心は決して失われることはありません。坐禅とは、その本来具わる仏心に立ち返るための実践です。「一坐の坐禅は一坐の仏」と説かれるように、蘭渓禅師の『坐禅論』は、750年前だけでなく、現代を生きる私たち一人ひとりに、生きる希望と勇気を与えてくれる教えでもあります。

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