秋の星空を見上げて
(出典:花園10月号「おかげさま」)
厳しかった猛暑の夏も、気がつけば遠い記憶となりつつあります。朝夕の風はやわらぎ、空は高く澄みわたり、季節は静かに秋へと歩みを進めています。自然の移ろいを感じていると、どんな暑さも苦しさも、永遠に続くものではないと教えられるようです。季節の移ろいは、私たちに「いま」という時間の尊さを思い出させてくれます。
妙心寺第二世興祖微妙大師が遺された教えに「少水の魚に楽しみ有り」があります。水の少ない場所に置かれた魚は、自由に泳ぐことはできません。しかし、それでも与えられた環境の中で懸命に生き、命を輝かせています。この言葉は、思い通りにならない現実の中でも、生きる喜びは「ここ」にあるということを教えてくれます。
私自身、今年還暦を迎えますが、振り返れば人生は思い通りにならないことの連続でした。出家、法務、家庭、人間関係、健康など、理想とはほど遠く感じることも少なくありません。それでも、不思議と心が満たされる瞬間があります。
私は子どもの頃から星空を眺めることが好きで、現在もボランティア講師として地域の子どもたちに自然や星空の魅力を伝える活動を続けています。テレビやインターネットで宇宙の映像を簡単に見られる時代ですが、本当の星空の下に立つ体験はまったく別物です。
「地球も宇宙に浮かんでいるの?」
「星ってどれくらい遠いの?」
子どもたちは目を輝かせながら、素朴な問いを口にします。街の灯りを離れた暗い場所で、夢中になって星空を見上げる姿を見ていると、私自身も「いま」を楽しむ心を取り戻せる気がするのです。
宇宙の誕生から今日までの歴史を一年に縮めると、人類が現れるのは、暦の上では12月31日の夜遅くになります。私たちの人生が100年だとしても、それは年越し直前の午前0時に限りなく近い一瞬に過ぎないといわれます。さらに、自分が存在していること自体が、気の遠くなるような命のつながりの上にあります。父母、そのまた父母へと遡れば、数え切れないご先祖さまの命が受け継がれてきました。誰か一人でも欠けていたなら、「ここ」に私は存在していません。そう思うと、秋の星空を見上げられることそのものが、すでに奇跡のように感じられます。
「少水の魚に楽しみ有り」。この言葉は、大きな夢や理想を否定するものではありません。むしろ、少ない水の中にいるような自分だからこそ、深い喜びがあるということに気づかせてくれる教えなのです。そのことを私たちは昔から、正月や彼岸、盆など、四季折々の行事を通じて学んできました。それは移ろう自然の中で、心を調え、「いま、ここで生かされている奇跡」を確かめるための、智慧でもあります。
また、日々手を合わせるという何気ない行いも、自分が多くの命に支えられていることを思い出させてくれます。
秋は、静かに自分を見つめ直すのにふさわしい季節です。色づく木の葉の美しさは、生命が終わりへ向かうからこそ生まれるのです。私たちの人生もまた、限りがあるからこそ、一瞬一瞬がかけがえのない輝きを放っています。
猛暑の夏を越えた今、澄んだ秋の空気の中で、少し立ち止まってみませんか。時には身近な自然や星空を眺めながら、静かに呼吸を調えてみてください。あなたの足元にある「いま、ここ」という少ない水は、きっと深い喜びで満たされているはずです。