雲衲報恩接心報告(5)
臨済禅師・白隠禅師の遠諱を記念し、去る3月3日~9日まで、全国の僧堂の雲水(修行僧)が約230人参集し、東福寺大禅堂(選仏場)において報恩接心を行ないました。
一日ごとの様子をご紹介して参ります。
(1) 3月3日 補佐員(役員)到着・会議
(2) 3月4日 僧堂先駆到着・接心衆評
(3) 3月5日 僧堂老大師・雲衲到着・安単・総茶礼
(4) 3月6日 接心開講
(5) 3月7日 接心・連鉢(下記をご覧下さい)
(6) 3月8日 接心講了
(7) 3月9日 分散・近隣僧堂のみ法要加担
3月7日
昨日と変わらず、夜も明けぬまだ暗いうち、4時開静(かいじょう・起床)です。
朝課(朝のお勤め、読経)の為、雲水たちは法堂へ移動です。
東福僧堂・原田融道老師を導師に、雲水約230人で読むお経が荘厳に響き渡ります。
前日と同じく、この日も5時半から始まる参禅の為、老師方が次々ご到着されます。さらに、飯台看(給仕役)の担当雲水たちは、粥座(朝食)の準備を進めています。
朝課後、梅湯茶礼を行ない、再び止静(坐禅)。
5時半。2日目最初の参禅が始まります。6日の報告にもご説明しましたが、自身が参禅したい老師の看板の後ろに一列に並び、それぞれの喚鐘場(参禅する部屋)へと赴きます。通常は走り喚鐘といい、一目散にめざす老師の喚鐘場へ走るのですが、今回は不慮の事故や混乱を避けるために、このような方法を採っています。
10ヶ所の喚鐘場が設けられています。詳細は下記のとおり。
○妙心僧堂・岫雲軒 雪丸令敏老師
○平林僧堂・江楓室 松竹寛山老師
○臨済僧堂・無底窟 阿部宗徹老師
○瑞龍僧堂・滴翆軒 清田保南老師
○大乗僧堂・露香室 河野徹山老師
○万寿僧堂・閒関窟 佐々木道一老師
○南禅僧堂・清光軒 日下元精老師
○東福僧堂・幽松軒 原田融道老師
○円覚僧堂・青松軒 横田南嶺老師
○瑞泉僧堂・玄々庵 小倉宗俊老師
参禅から戻るとまた坐禅の時間が続きます。
続いて7時より粥座(朝食)の時間。内容はいつもと変わらぬお粥に沢庵、梅干しです。
粥座後、8時より連鉢(托鉢)への出立準備を始めました。
8時半より、6コースに分かれて連鉢が行なわれました。詳細は下記のとおり。
A.建仁寺(妙心、海清、佛通、瑞泉、広園、崇福 各僧堂) *撮影・野口さとこ
B.八坂神社(天龍、相国、瑞龍、天衣、臨済、雲巌、万寿 各僧堂)
C.高台寺(南禅、円福、永源、虎渓、平林、向嶽 各僧堂)
D.藤森神社(東福、円覚、梅林 各僧堂)
E.東寺(大徳、正眼、妙興、建長、瑞巌、萬福 各僧堂)
F.清水寺(建仁、祥福、国泰、徳源、龍澤、方広、円通、大乗 各僧堂)
それぞれ、10時半頃東福寺に帰着。東福寺派管長・遠藤楚石老師がお出迎えになられ、労われました。
11時より斎座(うどん)。うどんを啜る時だけは音をたてていただいても良い事になっています。200人超がうどんを啜る音が方丈に響きます。
典座からゆがかれたうどんが運ばれます。何往復してもなかなか終わりません。
ひたすら啜ります。普段は限られた量しか食べることができない雲水達にとって、際限なく食べることが許されているうどんは何よりのご馳走なのです。各僧堂でも、時折、檀信徒さんからうどんを供養される日があり、雲水にとって楽しみな日です。
斎座後は、随坐(自由な坐禅時間)。
13時より、建長寺派管長・ 柏樹庵 吉田正道老師による『臨済録』上堂「如何なるか是れ仏法の大意」の提唱です。
そのまま禅堂にて吉田正道老師を導師に晩課。引き続き15時より参禅。詳細は下記のとおり。
○妙興僧堂・孤雲室 稲垣宗久老師
○瑞龍僧堂・滴翆軒 清田保南老師
○大乗僧堂・露香室 河野徹山老師
○梅林僧堂・悠江軒 東海大玄老師
○円通僧堂・臥龍窟 長谷川大道老師
○常栄僧堂・無隠窟 今井宏泉老師
○大徳僧堂・嶺雲室 高田明浦老師
○南宗僧堂・吹毛軒 田島碩應老師
○相国僧堂・韜光室 小林玄徳老師
○仏通僧堂・凌雪軒 小倉賢堂老師
参禅後、16時半より薬石(夕飯)。縁側で中の様子を伺っている黒衣の僧侶は、この摂心の運営を取り仕切っている東福僧堂出身の僧侶。そして、その横では、給仕係の飯台看(はんだいかん)が、次の供給の準備をして待っています。
雲水さんが座っていない時は、このような感じです。飯台がずらっと並べられているのです。どの僧堂にもこのような飯台が食堂に常備してあり、出し入れして食事が行なわれます。
薬石後は、総参(夜の参禅)。参禅を受けられる老師方は下記の方達でした。
○徳源僧堂・江松軒 嶺興嶽老師
○万寿僧堂・閒関窟 佐々木道一老師
○萬福僧堂・蘭若室 近藤博道老師
○天龍僧堂・撥松軒 佐々木容道老師
○国泰僧堂・虚室 澤大道老師
総参は20時半までには終了。その後、21時より茶礼、止静(坐禅)。22時開枕。
雲水が個々に坐る夜坐(消灯時間以後に、随時坐禅をする事)は法堂前や方丈の縁側などでなされていたようです。