静岡県 ・東壽院住職 曦宗温 |
雨が降ってきたので庭掃除を中断して部屋に戻ってきました。窓から眺める境内のアジサイは濡れて色かがやき、水瓶の中では目が覚めたように開き始めたハスの花が実に鮮やかです。木陰ではアゲハチョウが雨宿りしながら静かにツツジの蜜を吸い、遠くからはカエルの合唱が聞こえてきます。 雨のおとがきこえる 雨は分け隔てなくあらゆるものを潤し、汚れを落としてくれます。『ブッダのことば―スッタニパータ』(岩波文庫・中村元訳)には「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」とあります。まさに雨は一切のものに幸せを与えてくれる存在です。けれどもみんなの心が安らぐように務める僧侶である私自身は、僧堂から自坊に戻って和尚となっても毎日やるのは掃除と作務だけ、内心「こんなことばかりしていていいんだろうか。もっと世の中のためにしなきゃならないことがあるんじゃないか」と焦りや不甲斐なさもあって掃除にも身が入らず、ダラダラおこなっているようなありさまでした。 |