法 話

菩薩泉の水
書き下ろし

山口県 ・普門寺住職  久保俊道

rengo1610b.jpg 私たちは日常の在り方を振り返ってみる時に、いろいろなものにとらわれ左右され、振り回される事により自分というものを見失い、道に迷っているのが現実の姿ではないかと思います。よく考えて見ると世の中は思い通りにならない事が多いのです。

 「心静かに生きていることができない根本の理由は、執着心を持ち続けている事である」とお釈迦様は説かれています。執着とは、かたよる事、こだわる事、とらわれる事であり一番可愛い自分の為になるものにはしがみつき、反対に都合の悪いものは遠ざけて、それ自体が正に悩み苦しむという事なのです。


  掃けば散り 払えばまたも 塵積る 庭の落葉も 人のこころも(道歌)


 執着・妄想という塵や垢は、放っておくと際限なく心に降り積もり、本来の心を曇らせてしまうのです。"塵も積もれば山となる"という諺の通り、わずかな塵のような汚れもどんどん積もればいつの間にか大山となり、どうしようもなくなるのです。だから、常に心が汚れない様に、その塵を掃除しなくてはならないのです。

 10年程前に、墓地の共同清掃を始めました。時期はお盆の前、7月下旬の土曜日に実施しています。場所が裏山の中腹にあるため、周辺には春から夏にかけて草や竹や雑木が、それはよく茂ります。事前に刈払機を駆使して草刈りをし、道も含め、当日そのゴミを参加者の方に収集清掃をして頂いております。幸い熱中症にかかる方もなく、約1時間半くらいで作業は終了です。きれいになった墓地の上を、清風がサッと吹き過ぎたような気がしました。皆な大汗をかかれているので、早速、下の観音堂横の井戸で顔や手を洗ってもらいます。この井戸は年間通して水温が約18度で、冬は温かく夏は冷たいのでとても心地よく、またお墓参りの水にも使われています。そして、当山十境の第七「菩薩泉(ぼさつせん)」という名称が伝えられています。


  水の滴(しずく) したたりて
  水瓶(みずがめ)をみたすがごとく
  心ある人は ついに善をみたすなり     (『法句経』122 友松圓諦訳)


 六波羅密(ろっぱらみつ・菩薩の六つの修行徳目)第四の「精進(しょうじん)」は、善を行ない、悪を行なわないという事です。善い行ないは心を清め、悪い行ないは怠ける心となります。わがままな心、怠け心を起こす事なく善い事を行なうよう「精進」(精一杯進む)していきたいと思います。そして作務の後はこの井戸水を頂き、顔や手を洗わせてもらいたいと思うのであります。