法 話

釋宗演禅師のこころシリーズ〔14〕
「他人の悪口を言わず」
書き下ろし

神奈川県 ・東学寺住職  笠龍桂

1902a.jpg 節分は、各季節の始まりの日の前日のことで、江戸時代以降は特に立春(2月4日頃)の前日、つまり2月3日を指す場合が多くなりました。元来は宮中で「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆を撒いて厄除けを祈願する神道行事でしたが、いつしか仏教寺院でもこの節分会が行なわれるようになりました。仏教ではこの「鬼は外」の鬼とは、心の鬼のことを指します。心の鬼とは煩悩のことで、例えば口で犯す煩悩に「悪口」や「嘘」があります。この心の鬼を退治することは、なかなか容易ではありません。

 さて、昨年は臨済宗円覚寺派元管長の釈宗演禅師の百回忌でした。釈宗演禅師は、満32歳という若さで管長に就任し、その翌年米国シカゴで開かれた万国宗教会議に日本の宗教者代表4人の一人として参加。この歴史上初めての会議には、キリスト教の優位を示す狙いがありましたが、そのことを知りながら、釈宗演禅師は「禅」を世界に拡める千載一遇の好機ととらえて参加されました。この時の禅師の講演は禅仏教の根本である「悟り」を説き、約6000人の聴衆から拍手喝采を受け、「禅は現在の科学、哲学と密合する」ことを提示されました。まさに、世界のひのき舞台で禅を講じられ、禅を拡められた最初の僧侶となられたのでした。
 この舞台に立つ下地は、禅師が管長に就任する前に、師である今北洪川老師の反対を押し切って、慶応義塾で福沢諭吉らの碩学に学ばれたことや、セイロン(現スリランカ)で2年半、原始仏教の根本精神の戒律について学ばれた経験が大きく関与しています。

 釈宗演禅師の人となりは、後に禅師のもとに参禅した夏目漱石が小説『門』で、主人公の宗助にこのように語らせています。

「彼の眼には、普通の人間に到底見るべからざる一種の精彩が閃めいた。宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思いがあった」

 峻厳な禅師の風貌が偲ばれます。また、徳富蘇峰は『宗演老漢』で次のように追想しています

「敬服すべきは未だかつて第三者に対して、他の長短を謂(い)わざりし事也」

 つまり、他人の「悪口を言わなかった」というのです。大乗仏教における十種の戒に「十重禁戒(じゅうじゅうきんかい) 」があり、その6番目と7番目に「他人の過ちを言いふらすことなかれ」、「己(おのれ)を誇り他を悪(あ)しざまに言うことなかれ」とあります。
 まさに、この僧侶としての「戒」を守り、心の鬼を退治した釈宗演禅師の生きざまは、僧侶の鑑だと思います。なかなか凡人には及ぶところではありませんが、節分に際して、少しでも禅師からこの正しい生き方を学びたいと思います。

(参照:読売新聞、特別編集委員・橋本五郎氏のコラム)