法 話

仏教徒のオシャレ
書き下ろし

大分県 ・大光寺住職  武多宗隆

1904b.jpg 「一着の服装をするということは、社会に対する自分の意識を表現することです」。
 ある服飾デザイナーの言葉です。春という季節、思いを新たに臨みたいものです。あるいは、より若々しく美しくありたい、他人に好かれたい。その思いを表現する一つとしての「服」ですが、『法華経』の一節にこのようにあります。

如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是(こ)れなり

 仏さまの衣服とは、優しく穏やかで、辛いことにもことさらに動じずに耐え忍ぶ心であると説いております。やたらと刺々しく、すぐに怒る。優しさのない冷たい態度。そのような方が、いくら素敵な洋服を着ていても、そこに美しさはありませんし、人に好かれることもないでしょう。
 また、この「服」について、『仏遺教経』には「恥を恥と知るという服は諸々の飾りの中でもっとも美しい」とあります。
 どんなにお洒落をして着飾っていても、自分勝手な振る舞いをして、慎み深さや礼儀正しさを欠いていては、本当の美しさはないのかもしれません。むしろ、人としての素朴さや謙虚さに、美しさや清々しさを感じ、そこに私たちは心惹かれ、人としてそのようになりたいと思うものです。
 衣服とは本来、自分の身を守るためのものです。そのような生き方が自分を守る、とも言えると思います。さらに言えば、より良い身近な社会の実現に繋がるのではないでしょうか。つい自分基準の振る舞いをしてしまいがちな私たちですが、今一度この「社会に対する自分の意識」を考えたいものです。

 先日「身だしなみとオシャレ」について書かれた記事が目に入りました。身だしなみとはマイナスから基本の0地点にまで持ってくること、オシャレとは0地点からプラスにしていくこと。そのような内容でした。この「身だしなみとオシャレ」は服の他に「お化粧」も当てはまると思います。まずは基本を整えて、その上から少しずつ足していく。その「お化粧」について、カトリックのシスターでノートルダム清心学園理事長であった渡辺和子さんは、次のようにおっしゃっています。

1 いつもにっこり笑うこと
2 人の身になって思うこと
3 自分の顔を恥じないこと
この3つの化粧品は、お金がいらない、使っても減らない、使えば使うほど質がよくなる、どこへでも持っていける。そしてアンチエイジング、つまり、年をとらないために、とても大事な化粧品だと思います。

 外見ばかりにとらわれず、あたたかで思いやりのある振る舞いに気をつけることが、基本の基礎化粧品。そして、自分勝手な態度を慎みながら日々を重ねていくこと、それが心の衰えない内から滲み出る最高の美しさの秘訣。そのようにおっしゃっているのではないでしょうか。先ほどの経典(『法華経』・『仏遺教経』)の一節に通ずるものがあろうかと思います。

 「衣服」や「お化粧」という見た目ももちろん大切なことです。しかし、心がけや習慣も同じように見た目として表われてしまうものです。「お金がいらない、使っても減らない、どこへでも持っていける」。つまり、本来の自分が具え持っているもの、もう一度その姿に立ち返ってみましょう、禅や仏教ではそのように説きます。「衣服」「お化粧」「オシャレ」とは楽しくて心がウキウキするものです。いつも柔和で人を思いやる生き方、この「仏教徒のオシャレ」も、きっと同じ。この春、心新たに善き船出ができますよう祈念申し上げます。