法 話

釋宗演禅師のこころシリーズ〔8〕
「人情の禅」
書き下ろし

兵庫県 ・宝満寺住職  亀山博一

rengo_1811a.jpg ラオスやスリランカ、ミャンマーなどの国々を訪問するたびに、超然とした僧侶の威厳と、あまりにも敬虔な仏教徒の姿に感銘を受け、日本とは大きく異なる「仏教国」のあり方に圧倒されます。
 インドから南方の国々に伝わった「上座部仏教」の僧侶は、お釈迦様が定めた戒律を忠実に守りながら、一般社会から隔絶した僧団の中で、悟りを求めて生涯を修行に捧げます。出家できない一般の人々は、僧侶に布施することで来世のために功徳を積みます。つまり「修行によって悟りを開いた僧侶」だけが救われるという教えです。
 これに対して、主流派から分裂して中国や日本に伝わった仏教は「大乗仏教」と呼ばれ、自分ひとりの救済(自利)よりも先に、他のあらゆる人々を救うこと(利他)を誓願して生きる教えです。僧侶も一般の人々も、全ての人々が共に救われる、慈悲に満ちた教えなのです。
 今年百年遠忌を迎える鎌倉円覚寺派元管長の釋宗演老師と、明治を代表する名僧の一人である雲照律師との間に、この大乗仏教を理解する上で、とても興味深いエピソードが残されています。

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 雲照律師(釋雲照師)は真言密教の高僧で、上座部と同じように戒律を厳格に守る「戒律復興運動」によって、明治期の日本仏教の改革を目指しました。若き日の宗演老師が上座部仏教を学ぶためにセイロン(当時のスリランカ)へ留学する際に、紹介状を書いて下さった恩人でもあります。

 ある時、宗演老師が雲照律師と出会い、開口一番にこう尋ねました。
「あなたはウナギと刺身のどちらがお好きですか?子供は何人おられますか?」
 雲照律師は渋い顔をして横を向いてしまい、同行していた信者さんが「律師は肉食はもちろん、女性と関係を持つなど、そのような穢れたことは一切なさいません」と応じました。
 それを聞いた宗演老師は「それは失礼しました」と大笑いして、さらに尋ねます。
「ところで、あなたは修行中の弟子が女性と会ったことを理由に破門にされたそうですが、あなた方の教えは、そのような者は信じてはならぬのですか。我々の教えは、どのような人でも支障はございません」
 これに対して律師は、「信じてはならぬということはないが、僧侶が肉食妻帯をすれば修行の妨げとなるので、一切禁じておる」と答えました。
 すると、宗演老師はこう仰いました。
「肉食や妻帯のせいで修行が乱れるような意志の弱い者に、それを禁止すれば、さらに心が乱れるだけでしょう。腹が減ったままでは、何か食べたいという思いに心を奪われて、せっかくの修行も身に付きません。それに、世の中の男性と女性を隔離して会えなくしたら、人々は気がおかしくなるに違いありません。
 天下の泰平も五穀の豊穣も、人々の和合と欲求の満足なしではあり得ません。欲求は人間の本能です。初めから聖人君子であれというのは無理な注文です。
 われわれ僧侶とて、やはり同じ人間に過ぎません。戒律で何もかも禁じるより、まずは人間本来の欲求というものに対する理解を深めさせ、それに溺れてしまわないような工夫を教えてあげてはいかがでしょう。
 あなたの立派な生活姿勢には心から敬服しますが、残念ながら、あなたは人情というものを理解していません」
 これに対して、律師は一言も返せなかったそうです。

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 言うまでもなく、私たち仏教徒にとって教義や戒律を守ることはとても大切です。しかし宗演老師は、それだけでは十分ではない、「人情」がなければ人を救うことは出来ないと仰います。なぜでしょうか。
 私たちは誰もが、弱く不完全な存在です。善良でありたいと願っていても、人は時に欲に溺れ、道に迷い、間違いを犯します。そして、悩み苦しむ人も、その人に救いの手を差し伸べる人も、同じように悩み苦しむひとりの人間に過ぎないのです。
 痛みや挫折を経験し、自分自身の弱さを知る人こそ、他人の苦悩を我がことのように受け容れることができるのではないでしょうか。立派な聖人君子でなくてもいい。人間というものの弱さを自覚し、悩み苦しむ世の人々に寄り添って、共に救いを目指してゆくような、血の通った人間性。それが宗演老師が言われる「人情」であり、大乗仏教の本質ではないかと思うのであります。仏教には慈しみや思いやりをあらわす「慈悲」という言葉がありますが、あえて「人情」と表現されたところに、宗演老師の人間味を感じられるような気がします。
 若き日の宗演老師は、「この世で苦しむ人々を救うために自分はどう在るべきか」と葛藤されます。やがて「寺の中にとどまっていたら人を救うことは出来ぬ」と確信し、師匠の猛反対を押し切って慶應義塾大学に進学、さらには仏教の源流を探るために遙かセイロン島へと赴き、学識と見聞を深めます。
 この時、無一文の宗演老師を援助し、無謀にも思える挑戦を支えてくれたのは、熱意溢れる一人の青年僧を信じ、「迷える世の人々を導く立派な禅僧になってほしい」と願う人々の、温かい人情でした。多くの人の情けによって自分が救われ、生かされていることに、老師ご自身が深く感謝しておられたに違いありません。
 その後、円覚寺派管長として多くの人々を教え導き、さらには世界に向けて禅を布衍されるという偉業を成し遂げた宗演老師の激動の生涯の中に、大乗仏教のあるべき姿を見るような気がします。


参考文献:
円覚寺禅道会機関誌 『禅道(112号)釋宗演禅師謝恩号』掲載 『宗演禅師の片影(松尾楽天)』