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庭前柏樹子 (無門関) ていぜんのはくじゅし

『枯木再び花を生ず-禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

12月を表す季節の画像

 『無門関』第三十七則にある話です。一人の僧が趙州(じょうしゅう)和尚に問います。「如何(いか)なるか()祖師(そし)西来意(せいらいい)――達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か!」。それは言ってみれば禅を伝えるためです。
 だから、この問いは「禅」とは、「仏」とは、「悟り」とは、という事です。
 これに対して、趙州和尚は、「庭前の柏樹子」といい切ります。
 「子」は助辞(じょじ)で意味はありません。「柏樹」とは、所謂(いわゆる)、日本の「かしわ」の樹ではなく、柏槙(びゃくしん)といわれるもので、無数に分かれた小枝の周囲に糸杉に似た葉が付き、繁茂力が強く、冬も夏も色を変える事なく、常に緑を誇り、幹は檜に似て赤く、縦じまが美しい樹です。趙州和尚の住した観音院は別名、柏林寺ともいわれ、柏樹が蒼々(そうそう)と繁っていたといわれます。そこでの問答です。
 「如何なるか是れ祖師西来意」。「庭前の柏樹子」。
 趙州和尚は何をいおうとしているのでしょうか。
 山川草木(さんせんそうもく)悉皆成仏(しっかいじょうぶつく)、見るもの聞くもの、存るものすべてが、そのまま仏の世界という意味で「庭前の柏樹子」と答えただけではありません。
 『趙州録』に続きの話があります。
 僧が続けてたずねます。「和尚、(きょう)(もっ)て人に示すこと()かれ――私は禅とは何かと聞いているのです。境、即ち心の外の物で答えないで下さい」というのです。
 趙州和尚云く、「我れ境を将て人に示さず――私は決して心の外の物で答えてはいない」。
 そこでまた、僧が問います。「如何なるか是れ祖師西来意」。趙州和尚、厳然として、「庭前の柏樹子」と答えます。
 この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、禅師の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。天地ヒタ一枚の柏樹子です。祖師西来意だの、禅だの、仏だの、悟りだのという小理屈は捨て切って、天地一パイの柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。
 この消息は釈迦、達磨といえども窺い知る事の出来ない、兎の毛ほどの思慮分別も差し挟む事の出来ない徹底的な「無心」の心です。
 その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、「柏樹子の()賊機(ぞっき)あり」と、寸評されています。この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らずにはおかない機略があるというわけです。
 後日談があります。
 日本黄檗宗の開祖、隠元禅師(1592~1673)は江戸時代、中国明の国より渡来し、日本の禅道場に法戦を挑んで各地を遍参した事があります。その折、京都の妙心寺にも上山し当時の山主、愚堂和尚と問答に及びます。
「開山、関山国師の語録を拝見したい」
「開山さまには語録はありません」
「語録なくして、何で開山と云えるか」
「開山さまには語録はないが、ただ『柏樹子の話に賊機有り』という言句があります」
 隠元禅師、この一語を聞いて身震いし、
「この一語、百千万巻の語録に勝る」
と云ってうやうやしく礼拝したと伝えられています。
 隠元禅師をして驚懼(きょうく)せしめた語が、まさにこの「賊機有り」の語です。