唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の「白頭を悲しむ翁に代わりて」と題する詩の第4節です。
古人復た洛城の東に無く
今人還た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言を寄す全盛の紅顔の子
応に憐れむべし 半死の白頭翁
昔の愛人はもはや洛陽にはいない今、また、若い恋人同士が風に散る花を眺めています。思えば、寒い冬が終わって春になると、昔年と同じように花は美しく咲くけれど、一緒にこの花を見た人はもはやこの世にはいない。若く、美しい君達に云っておく。若いと云うがすぐ年老い、黒い髪も白くなってしまうぞ!
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて人生の無常を詠歎した句です。
生ある者は必ず死ななければなりません。それは人間の「サダメ」です。人間にとって、死別ほど悲しいものはありません。否、人間だけではありません。先頃、『朝日新聞』の「こころ」の欄に千葉県仏母寺の住職、安井玉峰さんの随筆が紹介されていました。
ある日、お寺の壁にドスンと雄のキジがぶつかり、ひん死の重傷を負ってしまいました。キジの雌がコーコーと鳴いて雄の周りを回っているんです。雄は必死に首を上げようとするんですが、ついに力尽きてしまいました。
痛ましさに胸がいっぱいになり、キジのそばにしゃがみ込みました。が、あんなに警戒心の強い雌キジが、今はもう私のことなど意識になく彼の周りを回っています。そのうち彼女は彼のくちばしの付け根を軽くコツコツとつつき始めました。
コーコー。「起きなさい」といわんばかりです。それでも、なんの反応もないと、こんどはトサカやほおの毛をくちばしでくわえて持ち上げようとするではありませんか。
が、黒いひとみは閉じられたままです。ついに、彼女は彼の体に駆け上がり、必死にコーコーと鳴きながら、ひとしきり激しく頭をくわえてひっぱりました。キジの情愛とはこれほどのものかと、彼女の姿が涙で見えなくなりました。
……彼女はやっと事の次第を納得したのか、離れては近寄り、それを数回繰り返して、去って行きました。放心して見つめる私が、なきがらを始末をしてやろうとすると、彼女が戻って来たのです。3メートルほど離れてじっとこちらを見ています。
と、今度は決心したかのように、彼のそばにつかつかと力強い足取りで近づき、二度、三度、彼のくちばしをつつき、声も出さず、振り返りもせず、去って行き、戻ってきませんでした。
……この夫婦は今生の別離をしたのです。はかなかった、短い一生の……。彼女は真心をささげて、別れのあいさつをしたのです。命がけで。
(昭和62年3月25日夕刊)
露命たのみ難し夢一場、悲風吹き到って無常に驚く。死は何時来るかわかりません、御用心!