破草鞋

禅 語

更新日 2008/09/01
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破草鞋
(碧巌録)
はそうあい

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

 「草鞋」とはわらであんだ履物、わらじの事です。「草鞋を破る」と読めば草鞋をすり切らして長旅をする意、所謂(いわゆる)行脚(あんぎゃ)」の事で、名師を求めて諸方の禅寺を遍参して修行する事です。「破れ草鞋」と読めば履き古されてすり切れ、今は路傍の片すみに打ち捨てられて誰一人として見向きもしない破れわらじの意となります。
 禅の修行は一切の妄想執着を断ち切って、真の「無一物」の境涯になりますが、その妙境涯にもとどまる事なくそれを捨て去って、学んだ法や修した道を少しもちらつかせることなく、悟りだの、仏だの、禅だの、その影さえ窺い見る事が出来ない、馬鹿なのか利巧なのか、偉いのか凡夫なのかさっぱりわからない、長屋に住む八つぁん、熊さんの手合と同じく、人知れず平々凡々、一個の破れわらじのように、その存在すら知られずに生きていく消息こそが、本当の禅僧の境涯だというのです。他人から有り難がられるようでは未だというわけです。
 「破草鞋」が、「閑古錐(かんこすい)――古びた(きり)」「破沙盆(はさぼん)――こわれたスリバチ」等々と共に禅門で重用されるのはその辺の理由からです。
 破草鞋のように生きた人を紹介します。
 近世の名僧、渡辺南隠(なんいん)禅師(一八三四~一九〇四)は、はじめ広瀬淡窓(たんそう)に就いて儒学を学び、後に出家して修行し、東京・白山(はくさん)道場を築いて多くの僧俗を教化された人です。
 この南隠和尚が遷化(死亡)された後、近所のお婆さんがいうには、「老師ご存命中は私達のいいお茶飲み友達だと思って、しょっちゅう参りましたが、おかくれになってから聞けば、たいそう偉いお方であったそうですね……」。
 妙心寺の関山国師は大灯国師の法を嗣ぐと、独り美濃の国伊深(いぶか)の里に隠れ、村人達に頼まれるにまかせて、田畑の耕作、牧牛、伐木に炭焼等々、手伝いの日々でした。村人達にとっては誠に便利で重宝な老爺としかうつりませんでした。
 優雅な勅使(ちょくし)が山間の僻村(へきそん)、伊深の里に入ってくるのを見て、村人達はまさに青天の霹靂(へきれき)でした。これまでは単なる老爺だと思っていた関山国師を花園法皇の命で迎えに来たのですから、村人の驚きはひとしおでした。
 東福寺の画聖(ちょう)殿司(でんす)は、破草鞋の如く生きんと、自ら「破草鞋」をもって号としたといわれています。「破草鞋のように生きる!」、口で云うは易し、実行する事はなかなか難しいようです。