更新日 2009/09/01 |
禅語一覧に戻る |
『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』 (細川景一著・2000.11禅文化研究所刊)より |
この語ほど易しそうで難しい禅語は他にありません。眼は横に、鼻は直に!一体何を意味するのでしょうか。 只だ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して、人に瞞せられず。便乃ち、空手にして郷に還る。所以に一毫も仏法無し。 等閑とは運に任せる意で、不思議なめぐり会いを云います。一毫とはほんの少しの事。不思議なめぐり会わせで天童如浄禅師に会う事が出来、修行させて頂いた。お陰で、そのまま、あるがまま、眼は横に、鼻は直にある事をしっかり把握する事が出来、余計な戯論にまどわされる事もなくなった。思えばわざわざ中国まで出掛けて行ったが何の土産もなく、手ぶらで帰って来たようなものです。だから、私の手元には一かけらの仏法もないと云うわけです。 眼横鼻直、読んで字の通り、あたり前の事実を、ありのままに見て、しかも、そのままである真実を頷き取る。道元禅師でさえ四年の歳月がかかったのです。易しくて、難しい事実です。私達は果たしてすべてを、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け取っているでしょうか。 一休禅師(1394~1481)に面白い話があります。 ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。 さあ、どうでしょうか。私達は「眼横鼻直」のように、あるがままに受け入れているのでしょうか。他人の意見、自分の主義主張にとらわれて、本当の姿を見失っているのではないでしょうか。眼は横に、鼻は直に、じっくり味わいたい句です。 |