直っすぐな心でいること

禅 語

更新日 2011/08/01
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直っすぐな心でいること
直心是道場

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

直心(じきしん)、是れ道場―(『維摩経』菩薩品)

「直心」という語には、真っすぐな心、素直な心、あるいは直接という意味で、真実にぴったりと合った心など、いろんな意味が含まれている。しかし、そういう「直心」を身につけることは、決して容易ではない。直心を保つことは、自分を鍛える「道場」にほかならない。


 何かにつけ素直になれず、すぐに「斜に搆える」人がいる。そうかと思うと、たとえ自分にとって嫌だと思うようなことであっても、他人の言うことに素直に耳を傾ける人もある。やはり人間の生き方には個人差があって、必ずしも時代の趨勢に流されてしまう人ばかりではない。敢然として自己を貫く人もあるのだ。
 一般的に見れば現代という時代は、どちらを見ても決して良き時代ではない。その中で生きようとすると、あまり素直過ぎては馬鹿を見ることが多いであろう。だからみんなが保身的にそういう悪への傾向に身を委ね、本来の美しい心、素直な心を捨ててしまうことになってしまう。
 今日多く見られるように、人を信じることができず、常にまわりを気にして上目使いになり、ややもすると自分の殻の中に閉じ籠もってしまうのは、互いに依存しなければ生きられない人間としては、決して健全なあり方ではあるまい。
 われわれはもう一度、自己の殻を破って無我の心境を開き、周りの世界をその中に包み込むような温かみのある人間関係と、自然に対しても近世以来の人間中心の傲慢を捨てて、大自然に抱かれつつ生きるような、生き方を回復しなければならない。
 そういうことはしかし、近世以来人間の歩んで来た方向を逆転させることであり、容易なことではない。しかし、それこそが現代人に課せられている「試練」なのである。