頭上漫々脚下漫々

禅 語

更新日 2017/01/01
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頭上漫々脚下漫々
ずじょうまんまん きゃっかまんまん

『床の間の禅語・続』

(河野太通著・1998.04 禅文化研究所刊)より

頭上漫々脚下漫々(『碧巌録』第二則頌下語)

 頭の上にも脚の下にも、どこもかしこもみちみちている。何がみちみちているのか。宇宙の生命という真実です。
 お釈迦さまは「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」とおっしゃっています。山も川も草も木も、この世に存在するすべてのものはみな成仏していたと。私たちはそういう真実の世界の真っただ中に毎日暮らしている。それに気がつかないのは愚かしいことではないか。その愚かしい自己自身にも仏の命というものはすでに具えられているのです。それに気がつかなければならん。そう気がついてみるならば、「古松(こしょう)般若(はんにゃ)を談じ、幽鳥(ゆうちょう)真如(しんにょ)を弄す(古松談般若、幽鳥弄真如)」ということになってくる。松が風に吹かれてザワザワいっていても、それが般若心経を唱えていると受け取れる。あれはお釈迦さまのご説法だと聞こえてくる。鳥がチュンチュン鳴いていても、それも観世音菩薩のおさとしの声であると受け取ることができる。そうなるならば、「頭上漫々、脚下漫々」です。頭の上も脚の下も、すべてが宇宙の命を具えたものです。このように受け取れる心を、自分の中に見ていくことが肝心だと思うのです。