雪後始知松柏操

禅 語

更新日 2017/02/01
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雪後始知松柏操
せつごはじめてしるしょうはくのみさお

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』

(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

苦労して得る喜び


―雪後始めて知る松柏の操、事難くして方めて見る丈夫の心―(『圜悟語録』四)


 苦労の値打ちというものはその時には分からないが、後になってみればその尊いことがよく分かるものだ。雪に耐えた松の操を見よ、苦行をくぐり抜けた人の揺るぎなき心を見よ。
 「雪後に梅を得る」という禅語がある。寒苦に耐えただけに、梅は万花に魁けて芳香を放つのである。そういえば私の周りにも、若いとき一筋に坐禅修行に打ち込んでいた人が、今になって私のような凡僧にはない、特別の光を放っているのを見る。若いときの苦労は買ってでもせよと教えられたのに、自分は易きについてダラダラとした日々を過ごしてしまったことが、今ごろになって悔やまれるが、時すでに遅しである。
 じっさい何の苦労もなしにすいすい生きてきた人には、いわゆる黒光りのようなものも、奥深い魅力というものもない。温室で栽培されたモヤシみたいに青白く、ひょろひょろしている。そこへ行くと若いとき苦労に苦労を重ねながら、ただ一筋に生きてきた人には、何ともいえない底力と度量がある。
 私は演歌が大好きだが、その惹かれる理由はどうやら、演歌歌手に共通した今までの苦労にあるようだ。無名時代、ギター一本担いで夜の街に「流し」をしていた人とか、子供の頃から親に連れられてどさ回りをし、旅の小屋で浪花節を語っていた、などという人の歌には、いわゆる上手とは異質の味わいがあり、庶民の琴線に触れるものがある。
 私の友人に高校を出てから四年間、貧相な格好で予備校に通っていた人がいる。彼はせっかく受かった有名大学をやめてまで、自分の志す気象学の道を選んだ。果たせるかな彼はその後、航空自衛隊の幹部士官となり、自分の指揮ひとつで、飛行機を飛ばして人生を謳歌したのである。