今朝有酒今朝醉、明日愁來明日愁

禅 語

更新日 2017/09/01
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今朝有酒今朝醉、明日愁來明日愁
こんちょうさけあらばこんちょうよい、みょうにちうれいきたればみょうにちうれえん

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』
(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

今日は今日、明日は明日の風が吹く

―今朝酒有れば今朝酔い、明日愁い来たれば明日愁えん―(『月林師観語録』)
美味い酒があれば今日のうちに飲んでおこう。明日またどんなことが起こるかは考えないことだ。困ったことが起これば、その時のことだということ。来る日も来る日もまったく新しい日である。同じ日は一日として繰り返さない。その一日を今日限りとして生きようということであろう。


 古歌に、「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」というのがある。この歌には、毎日のように「変わる富士の景色」と、一貫して「変わらない富士の山そのもの」とが、同時に歌われている。
 われわれの心もまたそのようでなければならないのである。嬉しい日もあれば悲しい日もある。舞い上がってしまうような日もあり、深く落ち込んでしまう日もある。それがどのような一日であれ、人生に一度の、決して繰り返すことのない貴重な一日である。どうしていつまでも昨日のことを後悔し、明日のことを愁うることがあろう。『聖書』にも「明日のことを思い煩うなかれ」と教えているではないか。
 どのような状況であれ、その場その時の状況を淡々として受け入れていく、鏡のような柔軟な心、これをこそ「平常心」というのであろう。山田無文老師はよく、「笑っていても泣いていても、シャッターを切られたら写真だ。どんな顔でも真実の自分が写るのだから写真というのだ」と言われた。
 平常心は「不動心」と言い換えてもよいであろう。いずれも、何事にも動じないというような頑なな心ではない。むしろ何事をもそのままに受け入れていく柔軟な心のことである。そういえばあの美空ひばりにも、嬉しい日も悲しい日もあったはずである。しかも彼女はその日その日の舞台に立って精一杯、同じ「川の流れのように」を歌い続けていたではないか。