更新日 2012/08/01 |
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『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』 (西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より |
―竹密にして流水の過ぐるを妨げず、山高くして豈に白雲の飛ぶを碍(さまた)げんや―(『伝灯録』二十、永安善静章) ある僧が楽普の善静和尚の道場を去るとき、善静和尚が「周りは山ばかりだが、お前は何処に向かって行くつもりかな」と言われた。僧が何とも返答できずにいると、善静が代わって答えたのが、冒頭の一句である。 竹が密集している所を水が流れているという風景は、この頃ではあまり見ないであろう。私が子供の頃には、まだそういう景色はどこにでもあった。とにかく森の道など歩くと、きれいな水がさらさら流れていたが、それを特別のこととは思わなかった。今思うとそれはまことに美しき天然の美であったのだ。空気が美しかったせいか、山も空ももっと高く、青々していたように思う。 |