上善若水

禅 語

更新日 2023/07/01
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上善若水
じょうぜんはみずのごとし

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

 『老子』の第八にあります。

上善は水の若し(じょうぜんはみずのごとし)
水は善く万物を利してしか(みずはよくばんぶつをりして)
而も争わず(しかもあらそわず)
衆人の悪む所に処る(しゅうじんのにくむところにおる)
故に道に幾し(ゆえにみちにちかし)

 「上善」とは最上の善、ここでは最上の善をそなえた人、即ち道に達した人。「衆人の悪む所」とは多くの人が皆な嫌がる所、即ち水が落ち込む場所。「道」とは老子の教えの中で云う、万物の本源的なもの、即ち万物の真実です。禅で云えば究極の悟りです。

 道に達した人は水のようなものです。水は巧みに、すべてのものに恵みを施し、しかもすべてのものと争わず、多くの人々が嫌う場所に好んで就こうとします。まさに水こそ「道」の本源であると云うわけです。「上善は水の若し」とよく政治家が揮毫(きごう)しますが、恐らく政治は弱き者(衆人の悪む所)の味方だと云うのでしょうか。

 また、水は四角の器に入れば四角に、丸い器に入れば丸に、自由自在に柔軟性を発揮してそのものに成りきります。しかも、四角から丸に移したからと云って、四角の角は残しません。優れた禅者も何時(いつ)、何処(どこ)、何事においても、その場その場の境に成りきって、跡を引きません。怒る時は徹底怒る、悲しむ時は徹底悲しむ、仕事の時は徹底仕事、遊ぶ時には徹底遊ぶ、その辺の消息を汲んで禅家はこの語を珍重します。

 水と云えば「水五則(みずごそく)」というものがあります。

 戦国時代の武将、黒田孝高(くろだよしたか)(一五四六~一六〇四)は播州姫路の生まれで、はじめ小寺家に仕えます。織田信長の覇権が播州に及んで、旧知の荒木村重(あらきむらしげ)の反抗を翻意させるべく、単身、村重の居城・伊丹有岡(いたみありおか)城へ赴きますが、補らえられ城内の地下牢に幽閉されます。その牢は水気が多く、頭にはかさが出来、脚の肉が落ち、皮膚病の為、右ひざが腐り、惨憺たる状態を強いられます。しかし牢内を流れる一条の水に生き抜く力を与えられます。

岩もあり木の根もあれどさらさらと

たださらさらと水の流るる(甲斐和里子〈かいわりこ〉)

 水は高きから低きに無心にさらさらと流れて行きます。前途に如何なる障害物があろうとも、自在に流れを変え、信じられないような大きな力を発揮して、岩をも削り取って流れて行きます。毎日毎日その流れを見る事によって、普通なら二、三ヵ月で死んでしまう所を一年間も生き抜き、豊臣秀吉に救われます。これより、水の如く生きるべく、「如水(じょすい)」と号し「水五則」を掲げて、自分の座右の銘とし、ついに黒田五十万石の大名になります。その「水五則」です。

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり
  ――他を指導する為には、自ら実践すべきである。

二、つねに己れの進路を求めてやまざるは水なり
  ――自らの進路をいつも求め続ける積極性を持つべきである。

三、障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  ――少々障害に当たろうとも力を落としたり、落胆すべきではない。

四、自ら潔うして、他の汚濁あわせ容るる量あるは水なり
  ――どんなものでも受け入れる大きな度量を持つべきである。

五、洋々として大海をみたし、発しては雲となり、雨雪に変じ、霧と化し、凝っては玲瓏(れいろう)たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり
  ――何時でも、何処でも自分の信念だけは変えるべきでない。

 水の如くに生きれば、まさに禅の悟りに通じます。