臘月火燒山

禅 語

更新日 2018/12/01
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臘月火燒山
ろうげつ ひ やまをやく

『無文全集』第一巻「碧巌録」
(山田無文著・2003.12・禅文化研究所刊)より

「後来、僧問う、如何なるか是れ室内一盞の灯。林云く、三人、亀を証して鼈と成す。又た問う、如何なるか是れ衲衣下の事。林云く、臘月、火、山を焼くと。」(『碧巌録』第十七則【評唱】より)


後になって、ある僧が香林に尋ねた。
「如何なるか是れ室内一盞の灯――部屋の中の一皿の灯明、これは何ですか」
お互いの心の中の灯し火、お互いの生きておる命、これはいったい何ですか、と。すると香林が答えて、
「三人、亀を証して鼈と成す――三人が皆な亀を呼んでスッポンだと言う」
いろいろな人が説明するが皆ウソだ、説明してしまったら、亀がスッポンになってしまうゾ、と。説明のできん生きておる命が、室内一盞の灯でなければならん。
 またある僧が問うた。
「如何なるか是れ衲衣下の事――雲水の修行中の心得はいかがでございますか」
それに香林が答えて、
「臘月、火、山を焼く――暮れになると百姓が山に火をつけて草焼きをする」
山を焼くことによって、来年の春、新しい立派な芽が出て来る。暮れに山を焼いておけば、来年の春、素晴らしいワラビが採れるということだ。雲水をしておる間は、百姓が冬の山を焼くようにしっかりと苦労をして、煩悩妄想焼き尽くせ。雲水中に利口ぶったやつは駄目だ、馬鹿になって何もかも真箇焼き尽くした時に、将来、立派なワラビが生えて来て、皆がその山へ集まって来るのである。雲水中に功徳を積んでおかんと、将来、法は栄えんということだ。陰徳を積んでおかんといかん。