禅のギリギリの一句、四句を離れ百非を絶した一句、その末後の一句に到って初めて、堅実な関所に到ることができるのである。この禅の窮極のところ、そこに徹するならば、仏もなければ凡夫もない、悟りもなければ迷いもない、と。そういう境地がひとつ分からなければいかん。禅の問題に向かったならば、真っ向から正宗の名刀をふりかぶって見せられたようなもので、そこに一分の隙でもあったならば、たちまち命を取られてしまうであろう。また、盤山宝積禅師は、刀を空中で振り回すよなもので、当たるとか当たらないとかということを言うておる暇はない、と言われておる。
《原典・碧巌録/引用・山田無文著「無文全集」第三巻『碧巌録?』(禅文化研究所)より》
*写真 雲水の托鉢